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2005年10月15日 (土)

新原町田駅

「新原町田駅」ってどこ?と思う人もいるかと思いますが、小田急線の町田駅の旧称です。JR町田駅ももとは「原町田駅」といって、新しい原町田駅なので、新原町田なのですね。原町田というのは、町田市の地名です。この駅には、私いろいろと思い出があります。「方言」のところにも書きましたが、私の父の実家は東京都町田市です。といっても父は新宿区市谷の生まれで、戦争が激しくなるまでは浅草あたりに住んでいたらしいです。戦争が激しくなると父一家は秋田県の小坂町に疎開していました。終戦後、祖父が東京はまだ混乱が続いているということで、しばらく小坂に住み落ち着いた頃を見計らって、東京に戻りました。ところが、東京大空襲で祖父の住んでいたところも焼け野原。もとの場所にはバラックが建っていたそうです。役所もすべて焼けてしまい、ここが祖父の家だったという証明もなく、仮住まいをしたのち、町田市へ新天地を求めたようです。父にとっては町田の家はなんの縁もないのてすが、両親の家ということになりました。

さて、そんなわけで、私の家の帰省は町田へ行くことです。新幹線もなかったので、当時は東北本線のやまびこで上野まで6時間半。そから山手線で新宿まで約30分。そこから小田急線で新原町田まで急行で30分です。凄い長旅です。

今でこそ、町田市は大商業地区ですが、今から35年前は田舎でした。祖父の家は、町田市役所のそばで今は一等地ですが、当時は田んぼや空地ばかり。盛岡の方がずっと都会でした。休みに「東京へ行く~」といっても町田ではまったく東京という感じもしません。上野駅や新宿駅の乗り換えの時ぐらいが東京という大きな街を体験したという感じでしたし。

現在の町田駅は、駅舎の上をすっぽりと小田急百貨店が包み込むようになっている大きな駅です。小田急線の中でも、新宿に次ぐ乗降客。でも当時は・・・。この新原町田駅の構造は少し変わっていました。普通の駅はホームに平行して駅の入口がありますが、ここは、ホームとは直角に(電車の先頭の方向)入口があって、「小田急OX」という、3階ぐらいの小さなスーパー(当時の私の目にはデバートだと思った)が併設されていました。

私もまだ小学1年生かそれ以下の時でしたので、町田の家に行っても一人で遊びには行けません。ましてや電車に乗って東京見物ということも。祖父の家から新原町田駅まで徒歩で約10分です。そこまで一人で遊びに行くことぐらいしかできませんでした。

町田は、小田急線の西側は市役所や団地など新しい街ですが、小田急線から東側のJR(当時の国鉄)の原町田駅にかけては昔ながらの町並みです。少しごちゃごちゃして、当時の私には一人では歩けないところでした。母からも、祖父母からも「新原町田駅から、先にはいっちゃダメ」といわれていたので、新原町田駅の前まで行き、小田急線のポームをみたり、小田急OXの店内をみたりするのが、一つの冒険でした。毎日行っていたような気もします。

転勤前に、青葉台に住んでいた時も、そして今新百合ヶ丘に帰省する時もたまに町田まで行くことが。当時の原町田駅の場所には東急ハンズがあり、JRの町田駅も小田急寄りに移転して、きれいになっています。でもひとつ裏どおりに入ると当時の町並みがあります。一度だけ冒険をして新原町田駅を超えたことがあります。その当時の町並みとは変わっていますが、雰囲気はまだ昔のまま。懐かしく感じました。今、妻や子が住んでいる新百合ヶ丘も、当時はまだ駅もなく、それこそ「幽霊」が出るような感じのところでした。すっかり変わってしまったこのあたり。

そうそう、新原町田駅では昔、切符販売の窓口があって、「新原町田~盛岡」までの乗車券が買えました。今ではそんなもの買えませんよね。

今、私は妻と子のいる小田急線新百合ヶ丘まで「帰省」をしています。当時は上野・山手線・新宿・小田急だったのが今は新幹線なので、東京・中央線・新宿・小田急となっています。でも小田急線の新宿駅のホームのJRとの境の×印のガラスの壁。あれは35年前と変わっていない感じ。

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