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2005年12月31日 (土)

地上デジタル放送

実家に帰省して、恒例の紅白歌合戦鑑賞。

うちの父は新し物好きなので、なんと地上デジタル放送受信用のテレビを購入しました。関東地区ではもうすでに開始されていますが、岩手県地方では今年の12月からNHKだけですが、地上デジタル放送が始まりました。画面は普通のアナログ放送よりきれいです。音もサラウンドなのでいいです。そして、なんと言っても「双方向」というものがあり、データ放送が楽しめます。紅白歌合戦の審査員もテレビを見ながら茶の間でもできるというものです。

とはいっても、テレビとインターネットを接続する必要があり、それを忘れていたのでそれはできません。しかし、データ放送だけは見られます。ボタンを押すと、歌手の紹介や曲順なのでが瞬時に表示されます。なかなか面白いのですが。

何年先か忘れましたが、アナログ放送はすべて終了して、デジタル放送に移行するようです。テレビの時代と共に変化していくのですね。

今年ももう終わりです。来年はどんな年になるのでしょう。いい年でありますように。

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2005年12月30日 (金)

白い「悪魔」

暖かい地方にいると、雪はロマンティックな感じを醸し出します。また、子供たちは雪だるまを作ったりできるので、雪は楽しいものかもしれません。しかし、北国の人にとっては雪はつらいものです。もっとも、雪は自然の貯水装置なので、冬期の雪は春以降の水がめとなり、雪が多い年は、作物が良く育つといいます。

しかし、雪もあまりに多くなるとそれは「悪魔」になります。今年は全国的に降雪が多く、事故などで亡くなる人も絶えません。

東北地方の太平洋側の気候である、仙台はここ2・3日は降雪もなく幹線道路の雪はなくなりましたが、それまでは毎日のように雪が舞いました。私の故郷の盛岡市は、70年ぶりの大雪で、積雪が70センチを超えたようです。例年、盛岡市は12月の中旬に湿った雪が降りますが、年末には融けて、道路の雪はほとんど消え、年明けと同時に大雪が降るといった感じでした。仙台は、もともと降雪が少ないので、街を彩る光のページェントが終わる年末まではほとんど積雪はなく、少し雪が舞う程度で、きれいなイルミネーションにはらはらと舞う雪が美しさを増すといった様子。それが今年の仙台は、例年の盛岡市のように(いやそれ以上かも)、そして盛岡市は豪雪地帯のような感じになっています。

仙台でも盛岡でも、雪が降って日中に融ければそれでいいのですが、日中も温度が上がらず、最低気温が氷点下になると、路面は凍結します。そうなると、車の運転は大変。スタッドレスタイヤも効き目はありません。スダッドレスタイヤは、雪だけの圧雪状態なら効果がありますが、鏡のように磨かれた凍った路面ではあまり・・・。歩道が雪で埋まるため、歩行者は車道を歩くことになり、転倒や事故も頻繁になります。

先日の山形県での特急電車の脱線事故。私も以前あのあたりは行ったことがありますが、まさに地吹雪状態です。前はほとんど見えません。瞬間的な突風。これこそ、「地獄」のような感じです。

しかし、雪国の人はじっとこの生活に耐え抜きます。ここで生まれ、ここで育った人は、その運命には逆らえないのです。「雪のない生活」に憧れることもあります。でも、雪という「白い悪魔」と隣り合わせでも、それだけ生きることへの懸命な努力をしています。

12年ぶりに雪国に戻った私は、その雪国の人達の生き様を再び目の当たりにした感じです。

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2005年12月15日 (木)

青春アミーゴ

高速での事故という少し、暗い話題から、一転してジャニーズ軍団の今日はタレントの話です。

日本テレビのドラマ「野ブタ。をプロデュース」というものの主題歌になっているのが、「青春アミーコ゜」です。ジャニーズのタレント「KAT-TUN」の亀梨和也と「NEWS」の山下智久が、役名の「修二と彰」という特別ユニットを組んで歌っています。

すでに、CDの販売は100万枚を超え、今年初のミリオンセラーとなりました。というのも、ジャニーズエンターテーメントでは、パソコンによる音楽配信を一切行っていないため、CDを購入するかレンタルするかしかないのです。商売が上手いですね。

さて、この歌ですが、オジサンの私も大変気に入っています。テレビドラマは見ていないのですが、ミリオンセラーの曲なので、あちこちで耳にします。12月7日の朝日新聞の文化面に、特集記事があり、「”ださかっこよさ”で幅広い年代にうけ」とありました。様々な評を見てみると、メロディーが単調、男同士の友情を歌った歌詞が新鮮、曲調が80年代の歌謡曲全盛時代を思わせるレトロ感・・・など。忘年会シーズンで、カラオケの練習のために、30代~40代のサラリーマン男性がよくCDを買っていくようです。そういう私もCDをレンタルして、パソコンに取り込みました(違法ではないですよ)。

私の感想としては、この曲にはもっと面白いものがあります。まず、歌詞のほとんどが日本語であることです。サビのところで「SI」と掛け声みたいなのはありますが、それ以外は全部日本語。外来語もほとんどありません。そして詞の内容は、地方で負け知らずだった二人の青年ず、東京に憧れ夢を抱いて出てきたが、悪の道にはまり、転落していく。そして、瀕死の友人を助けに行ったが間に合わなくて、そこで故郷を捨てた時の空を思い出す・・・といった、ストーリー。ここが「ダサい」感じなのでしょうが、中年オヤジには少しかぶるところもあり、過ぎ去った青春時代を思い出すものです(そんな、カッコいい青春時代じゃなかったので、一種の憧れもある)。

そして、この曲。シンセサイザーによるデジタル音源全盛期の現在で、フルオーケストラで演奏されていることです。シンセサイザー音源は、演奏家に対するギャラが少なくてすむので、最近は主流。またシンセサイザーの技術も向上しているので、オーケストラ並みの音を再現することが可能です。特に弦楽器の音は、伴奏程度なら、わからないほどいい音を作り出せます。しかし、この曲はしっかりとした弦楽器を使用していて、管楽器とうまく調和しています。この点も新鮮です。シンセサイザーにはない、微妙な音の強弱がいい仕上がり感も出しています。

私には、キーが高いのでこの曲は歌えませんが、聞いていて何となく勇気が沸いてくる・・・そんな曲です。みなさんもぜひ聞いてみてください。

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2005年12月13日 (火)

冬の高速道路でのできごと-続編-

仙台は、今日も雪が降っています。ちょうど、あの日と同じように・・・・。

一回転して止まった車。さて、どうしよう。ここは、高速道路のど真ん中。携帯電話もあるので、ここで事故処理センターへ連絡をしてそのまま待つか?でも高速道路は、いるだけで危険なところである。普通は、そのまま居て警察が来るのを待つのだろうが、車のエンジンが再びかかり、ライトもついているので、移動させることにした。幸いあたりには車はいない。次のパーキングの前沢までは約5キロはある。動かなくなったらその時考えよう。でも、この判断は正しかったかどうかはわからない。

車は普通に走行している。もしかしたら、回転しただけで、それほど車は損傷していないのだろうか・・・なんて考えた。いつもなら、前沢まではそう遠くはないが、異常に長く感じた。雪は相変わらず強く降っている。前方に、かなり速度を落とした車がいた。通常なら追越すのだが、今はそんな余裕もない。後ろについて徐行運転。いつ車が止まるかわからないし。脇から数台が追越していくのを見送りながら。

前沢サービスエリアの入口が見えた。やっと安全なところにたどり着いた感じ。でも、ここの入口はカーブが多く、道もかなりの積雪。速度を落として。パーキングスペースに。まず、車から降りて、損傷の具合を見た。右前方がかなり潰れている。ライトはついているが、右前方のウインカーは着かない。翌日、来客の送迎をしないといけないのだが、車は使えないかな?そして、ガードレールに損害を与えると、減点される。私は以前にスピード違反で累積5点なので、今回の加算で免停。冬場の繁忙期を控え、免停は痛い・・・と思いながら、リース車両なので、緊急センターに電話。「あの~、事故なんですが・・・・」「相手がありますか?」とまず聞かれる。自損と答えると、「お怪我は?」。特に怪我はないようだが、ハンドルを強く握っていて、スビンをしたせいか左肩が痛い感じ。でも、これはその日の水泳の練習でバタフライをやったせいかもしれない。

基本的に夜間なので、車のレッカーが必要かどうかがこの場での問題。北上市に宿泊予定で、車も動くので、とりあえず北上市まで行き、途中で車が故障したらまた連絡することにした。相手もなく、怪我もないと保険会社の出番もないのである。「警察には連絡した方がいいでしょうか?」「あとあとのこともありますので、連絡してください」ということなので、110番に電話した。実は、110番に電話するのは生まれてはじめてなのである。「110番コールセンターです」と男性の声。「あの・・・事故なんですけど」というと「今どこですか?」と無愛想な応え。もう少し愛想のいい返事でもいいじゃないの?と思いながら、警察を敵に回しても得はないので、低姿勢に。「これから行きますので、ハザードランブをつけていてください」との指示。しばらく待つことに。

しかし、事故センターや警察に電話をする前にしたことがある。だんだん、あの瞬間から冷静になってくると、無常に誰かと話したくなる。特に家族の声を聞きたくなった。でも、電話をしてもこのことを話すと余計な心配をかけるだけなので、話さないで済むならと考えたが、どうしてもその衝動は抑えられず電話をした。妻が出て「どうしたの?」「あのさ~、今高速なんだけど、やっちゃったんだ~」「えっ・・・・」と驚きの声。当然だろう。結局経緯全部を話してしまったので、私は心が晴れたが、妻には余計心配をかけてしまった感じだった。でも、ここで妻の声を聞かなかったら、冷静に次の電話はできなかったと思う。

雪がさらに降り続くなか、携帯が鳴った。岩手県の番号。誰?。出てみたら、「岩手県警、高速警察隊です」・・・。そうか、携帯だから、番号がわかるんだ。さすが警察。でもそうじゃないと、本当に緊急の時対応できないから当たり前か。

「北上まで来るのなら、北上江釣子インターの分駐隊まで来てください」ということだった。ここから、北上江釣子までは約20キロ。再び出発。雪はさらに激しくなり、視界はもっとひどくなったが、行くしかない。長かった。いつも利用するところなので、分駐隊の場所は知っていた。分駐隊と道路会社の事務所は同じ建物で、警察官の詰所は奥。中に入り、事情説明をして、免許証と車検証・自賠責保険の証書の提出。そして事情聴取。こういう天候での事故は多いようで、自損事故で自力で動ける人は、軽く扱われているようだ。私にとっては大きな事故でも、もっと多くの死傷者が出るような事故でもなく、自分の車が壊れただけなら、警察としてもあとは自分で車を直しなさいという程度なのであろう。ただ気がかりなのは、器物破損。「ガードレールなどを点検しましたが、破損もないようなので、特に事故責任はありません」とのこと。どうしてスリップしたかを聞かれたが、ブレーキを踏んだことをいったら「事情はわかりました」とそれだけ。起こるべきして起きたことなのであろう。

また、仙台に帰るなら、車が損傷しているので、何が起こるかわからないから、高速で帰らない方がいいとのこと。右前方ウインカーがつかないので走っていいかきいたところ「いいですよ」との返事。ますます激しくなる雪の北上の街をホテルまで再び走った。

ホテルにチェックインが23時30分。予定より1時間遅れ。部屋に入り、やっと開放された安堵感。長い夜だった。再び妻に電話して、すぐに寝てしまった。

翌朝も大雪だった。雪で破損した車の前方が隠れてしまったのが幸いして、そのままホテルフロントで待ち合わせをした来客をイベント会場まで送った。昨夜のことはまったく触れずに、世間話をしながら。

その後、天候も回復して、道路にも雪がなくなり、仙台まで高速で帰ってきた。途中の給油で、係りの人に破損箇所をみられたのが恥ずかしかったけど。

昨日、後処理をした。この車は、会社がリース会社と契約してるもの。対人や怪我がなければ、保険は効かず、会社の修繕費から修理代を払うことになった。見積は18万円。車の修理は高いのである。「あ~、この分働かないと・・・」上司からは、「夜間の運転は控えるように」と言われた。同僚からは、車の損傷はひどいが、私がビンピンしているので、それほどたいした事故には思われなかったが、高速道路上ということが入ると「命があってよかったね」と言ってくれた。

私は運がよかったというへきなのか、よくある事故なのか私にはわからない。ただ、今回の事故は、起こるべきして起きた事故で、私がもっと注意をしてれば防げたものだと思う。そして、幸いなことが重なったので、怪我ひとつなかった。

事故を起こした人は、その恐怖体験から、車に乗るのが恐くなり、運転ができないという場合もあるようだ。私はそういうことは全くない。

私の会社では、東北地区と北海道の営業担当のみはこういう悪条件と常に隣り合っている。こういう部署にいなければ、こんな思いもしなくても済むのにと思うこともある。しかし、雇用されている限りは、そう簡単には行かない。職業としているものが、ことの大小はあっても常に危険があるものも少なくない。それをいってはきりがないのである。雪の多いところで生活する人間はそれなりの知恵と技術を身につけて生活している。

今回の私の事故の教訓は、雪のような悪天候の時はできれば外出しない。ただ、どうしても出ないといけない場合は、夜間(日没以降)は移動しない。高速道路では、後続車からバッシングされようとも、スピードは抑える。この点さえ守っていれば、危険度はかなり低くなるだろう。

降り続く雪を見ながら、今後も悪天候で移動しないといけない私の仕事を思いつつ、今回命拾いしたことを感謝して、一層慎重な運転をと誓った。

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2005年12月12日 (月)

冬の高速道路でのできごと。

今、私がこうして普段どおりの生活をしているのは、「奇跡」のようなことが先日起きました。出張のため、夜に高速道路を北上中、圧雪のため、走行中に車がスリップして一回転し、ガードレールに激突。後続に大型トラックが3台・・・・。という場面で、かすり傷なしで帰還しました。その時は、それほど大きなことに感じなかったのですが、後から思えば、まったく無事だったことが奇跡だった感じです。こういう事故は、よくありますが、私のように無事だった人と、怪我をしたり亡くなったりする人との境目は、「運」もあるのかなと感じてしまいます。場所は、岩手県平泉町。ちょうど大河ドラマの「義経」が最終回で、義経終焉の地といわれる平泉、私も一歩間違えると、義経と同じ平泉で人生を終わらせてしまったのかと考えると不思議な感じです。

自戒と、交通安全のためにこの経緯を少し記録しようと思います。以下は、時間に添って。

その週は、東京からの客の送迎や、現地イベントなどで水曜日から日曜日までの出張。私の出張は一所ではなく、岩手県の北上市から始まり、水沢へ南下して、花巻へ北上し盛岡、一関、そして一旦仙台へ戻り再び、北上市へという行程。すべて車で移動なのですが、普段であればよくやることだが、あいにく天候は冬型ということで、雪が降りそうという予報。

木曜日の深夜から金曜日に掛けて盛岡市は大雪が降ったが、翌朝は晴れて道路も乾き、金曜日深夜には一関市に移動。土曜日は朝は雪はなかったが、ひと仕事を終えた頃には、雪が激しく降ってきた。この日は一度仙台に戻らないといけないが、一関仙台間は約1時間。南下するに従ってだんだん降り続く雪。夕方一旦社宅に戻った時は、外は大雪の気配。オフィスに戻り、仕事のだんどりを再確認して、再び北上市へ出発。日曜日の朝に、北上市のホテルで、来客と待ち合わせをしているので、夜遅くついても問題はない。ホテルには深夜12時ごろチェックインと連絡してあるし。そういうことは私はよくやることなので、今回もスケジュールは特に気にしなかった。

仙台市内は、例年より少し早い大雪。道路は、交通量も多いので、積もることはない。もう20時を過ぎていたが、普通に行って仙台-北上は東北自動車道で90分。遅くても22時には着けそうだ。「今日は、『宮廷女官チャングムの誓い』があるが、23時からなので、ビデオ予約をしなくても、ホテルで見られる」なんて考えていた。

泉インターから高速に入る。雪は降り続いているが、道路にはない。ただ、夜の雪は、ライトに反射して視界が悪くなる。また、外気が冷え込むと窓ガラスが内側から曇る。エアコンを窓に当てると、寒いのである。途中の鶴巣サービスエリアで一旦トイレ休憩。店は当然閉店している。エリア内は雪が少しあるがまだ積もるくらいではない。でも、外に出るとかなり降っている。ガソリンが少ないが、北上の手前の前沢サービスエリアでまでは持ちそうだ。

鶴巣を出て、古川市付近の直線道路に入る。ここは、回りが田んぼなので、風が強いと地吹雪になるところ。そろそろ、吹雪いてきた。外気温は0度。「ユキのためスベリ止め必要」の警告。私の車はスダッドレスタイヤに履き替えたので大丈夫。そして、最高速度が50キロに制限させていた。でも、みんな80キロから100キロは出している。私はスピード違反で前科があるが、この吹雪では事故でも起こさない限り捕まることはない。自動取締り装置も雪では、視界が悪く働かないだろう。

古川を過ぎ、築館あたりから、道路に雪が目立ってきた。今までの水を弾き飛ばす音から、少し重たい音になる。雪は相変わらず激しく降っている。それでも、地面もセンターラインもはっきり確認できるので、追い越しもできる。少しスピードは抑えようとしたが、結構出していた感じ。築館の先で、除雪作業中の表示。「そろそろ、出動かな?」と思いながらも、それほど雪が道路にないのは、除雪作業をしたのか・・・と思っていた。

金成パーキングを過ぎると、前方の車もいなくなり、ほとんど暗闇。ライトに反射する雪。視界が悪く、目と肩が疲れる。宮城県から岩手県一関市の境界付近は少し標高が高く、道路が圧雪状態に変わった。こうなると、雪の塊が車に接触する音が激しく感じるようになる。走行車線は、車が通るので、雪が少ないが、追い越し車線は雪が積もる。車の通行で一瞬融けるが、外気が氷点下になっているので、すぐに凍る。そしてさらに雪が降るので、見かけはシャーペット状だが、中はアイスバーンと化している。まず、この点を私は忘れていた。ここで気が付けばよかったのかも知れない。

岩手県に入り、一関インター前で、事故の表示が。その前に除雪車が待機していて、これから作業をする様子。雪はどんどんひどくなり、もう道路全体に積もり、センターラインは判別不能。走行車線も追越車線もわからない。感覚に頼るしかない。一関トンネルの手前で、事故車を発見。警察の車と事故車が見えた。事故車は、走行方向と反対を向いていて、スピンをして一回転したのだろう。相手はないようなのだか、止まっていたので、走行不能になっているのかな?。車の前方も相当壊れているし。「スピードの出し過ぎかな?」なんて思い通過。その時は、まもなく自分も同じことになるとはまったく思ってもいなかった。

トンネル内は雪もないので、スピードも出る。ここで、前方の車を追い越さないと・・・・。トンネルを出ると、カーブが続き、視界ももっと悪く、道路の状態はひどい。こういう悪路を走行することに少しスリルを感じながらも楽しんでいた私。

平泉トンネル。ここでまた追越を掛ける。トンネルを出た時、前方にゆっくりめの車がいた。少し直線になったので、追越をしても大丈夫かな・・・と思いアクセルを踏み、追越車線に。「音がおかしい」・・・・。かなり深い雪にはまったようだ。少し速度を落とさないと・・・・。

そして、いつものようにブレーキを踏んだ・・・・。

タイヤが滑った・・・・。

ハンドルが効かない・・・。

また、ブレーキを踏む・・・。

タイヤが滑ったら、ブレーキは絶対に踏んではいけないのだ・・・・。後の祭りだった。車は斜めになり、カードレールヘ。車が衝突する音。ハンドルを握り立て直そうとするが、ブレーキは踏んだまま。

回転した。

「ああ、これで終わりかな?」とは、不思議に思わなかった。何とかして車をとめようと必死だったような気がする。

走行車線に少しはみ出して逆方向に向き、エンスト状態でやっと止まった。その間約数10秒。逆方向に向いているので、大型トラックが3台続けてくるのが見えた。ライトがついていたので、様子がわかったのだろう、3台とも徐行して通過してくれた。私がスピンした時直後にトラックはいなかったこと。そして、車線をそれほどオーバーしていなかったこと。後続車がスピードダウンしていたこと・・・・。これらがすべて私には幸いした。

ブレーキを踏んで、車体がスピンしたが、速度が落ちていたこと、ガードレールに雪が付着していてクッションになっていたことも衝撃の緩和に作用していたと思う。私は、少し肩が痛いと思う程度でかすり傷もなく。その場に居た。

さて、どうしよう。このままここにいて連絡をするか・・・・。

次のサービスエリアまで相当あるし。キーを再び回すとエンジンがかかり、車が動き出した。ライトもついている。とりあえず、ゆっくりと車の方向を戻し、進んでみることにした。

その後については、次回に。

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2005年12月 7日 (水)

エアコンが止まる。

最近寒くなって、よくエアコン暖房が止まります。原因は「熱交換器の霜取り」のため。室外の温度が下がると、室外機に霜がつきやすくなるのです。横浜にいた時は、余程冷え込んだ日でないとそんなことはなかったのですが、こちら仙台ではよくとまります。外気温が1度とかマイマスになれば仕方ないですね。こういう寒冷地で、エアコンだけで暖房というのは無理かもしれません。みんな石油ファンヒーターを使っています。

ただ、灯油を買いにいくのが面倒なのと、夏場にしまって置く場所もないし。

仙台のサッシ窓は特徴があって、上部に小さな換気窓があります。関東地区ではあまりないのですが、こちらでは一般的。この窓を少し開けておくと、換気ができます。

今年は、少し寒く大変。エアコンは、電気代がかかるのです。

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2005年12月 6日 (火)

八戸市と八戸駅

先日、出張で青森県八戸市に出かけました。八戸市は人口25万人の港町。青森県では県庁所在地の青森市に次ぐ第二の都市。青森県は面白いところで、明治時代に、最初の市制施行がされたのは弘前市のみです。弘前市は津軽藩の城下町で古くから栄えてきた街。しかし、戊辰戦争のためか県庁所在地にはならず、当時の寒村だった青森市に県庁が置かれて。弘前市は学都としても栄え、国立の弘前大学がここにあります。青森市は、北海道との連絡港として栄え、県庁や官庁の街として発展。

一方八戸市は、古くから港町として発展し、三陸地方では最大の街。漁港も大きく、工業都市として開け、独自に栄えてきました。青森・弘前は旧津軽藩であるのに対して、八戸は岩手県の盛岡市と同様に旧南部藩。言葉も習慣も青森・弘前とは違い、盛岡とも少し違った文化を持った街です。

県庁もなく、港町としてだけ栄えた街で人口も多く、これだけの規模の街は全国でも珍しいところです。八戸市には、八戸地方の新聞社「デイリー東北新聞社」があり、車のナンバーも「八戸」ナンバー。私立の4年制大学も2つあります。これは、青森・弘前・盛岡に引けを取らない街を作ろうとする地元の人々の強い意志を感じます。

東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸し、今は八戸駅が終点です。ところが、八戸駅を降りて、街を見ると、はじめての人はきっと驚くことと思います。駅前が閑散として、とても人口25万人の町の駅とは思えません。新幹線開通に合わせて改築された駅舎のみが大きくそびえ建ち、駅前商店街もほとんどありません。この八戸駅はもともと「尻内」駅といって、八戸市の中心からは4キロぐらい離れています。東北本線が開通した時に、港町として栄えていた八戸は、鉄道が来ることを嫌ったのと、街を通ると大きく迂回しないといけないこともあり、街の中心から離れたこの尻内に駅が作られました。東北地方では多かれ少なかれ、こういう現象は起きています。鉄道は、疫病を運んでくるとか、街が分断されるとかいう反対運動で、中心部から少し離れたところにできています。そして、そこと中心部が結ばれ次第に街が大きくなっていくのですが、八戸は離れすぎ。岩手県久慈市までの八戸線が開通し、市の中心部に、八戸駅が作られました。その後尻内駅は八戸駅となり、今までの八戸駅は「本八戸駅」になりました。

この「本」というのは変な名前ですね。八戸のほかにも、「本厚木」「本塩釜」なんていう駅もあります。本は「本当の」という意味なのかなと思い、本がつかないものは「うその」ものみたいと思っていましたが「本」という意味に「中心の」というものもあるようです。

地元に方に聞いたところ、転勤で八戸に来た人が、この尻内にある八戸駅に降り立ち、何もない駅なので、「ああ、自分もついに左遷された」と嘆くのだそうです。しかし、街に向かっていくと、立派な街があり、安心するというものです。

八戸市は、漁業や工業生産の不況で、以前のような活気はなくなったといいますが、まだまだ大きな街で港町独特の活気があります。また、歴史の古い街でもあるため、数々の名所旧跡もあり、楽しい街です。厳しい自然のため、今は散策には少しつらいところもありますが、街を歩いて退屈はしません。また、イカの街としても有名。様々なイカ料理は逸品です。

八戸駅から、八戸線に乗ってのんびり海岸を旅すると、素晴らしい海岸の自然と躍動的な港の風景が印象的です。私もとても好きなところです。皆様もぜひ八戸市を訪れてみてください。

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2005年12月 2日 (金)

ダイエー盛岡店閉店

ダイエー閉店シリーズ、今度は私の故郷盛岡店です。

20051201_1321_000  1973年開店したダイエー盛岡店が、11月27日に32年の幕を降ろしました。泉店・山形店に続くものです。当時の盛岡市は、地元のデパート1件と中小のスーパーのみの町でした。全国チェーンの店は、今のクレディ・セゾンが経営母体となっていた「ミドリヤ」のみ。地元デパートの「川徳」もいわゆる「殿様商売」で、市民は選択の余地がなかった状態。そこにこの「ダイエー」が進出したのです。まず山形市に進出して、成功したダイエーは、東北地区の2店舗目に、この盛岡市を選びました。老舗の川徳デパートは古くからの商店街にありましたが、このダイエーは新しい商店街の中心地に進出。盛岡市にとっては、大きな衝撃でした。老舗の川徳からも従業員が引き抜かれたようです。

開店当時は、私はまだ小学生で、川徳の近くに住んでいたので、こちらの商店街かにダイエーのある商店街へどんどん人の流れが変わっていくのを子供ながらに感じていました。中学生ぐらいになると、よく町に出かけていき、私はもっはらダイエーはよく行っていて。まさに、寄り道コース。それまでは専門店で買っていた文房具もダイエーだと品数も多く、きれいにならんでいます。また、電化製品も同じで、安い。カセットテープなんかもここで買っていたかな?高校生になると、洋服なども買うようになり、また学校帰りに地下のファーストフードでよく何か食べていたし。何の目的はなくても、ただなんとなく寄っていたダイエーです。あの頃はここが閉店するとは。

売り場面積が8千平方ぐらいしかないので、それほど大きい店舗ではないのですが、何でも安く売っていて、それほど垢抜けた感じはないのですが、もともと田舎の盛岡にはぴったり。

ダイエーの盛岡進出は、老舗川徳にも大きな影響を与え、川徳は歴史ある店舗を売却し、ダイエーの近くに全面移転をしました。その結果、盛岡市の商業の中心はダイエー・川徳のある菜園・大通地区へと変わって行ったのです。パプルがはじけ、景気低迷の時代でも、盛岡市で、このダイエーと川徳きまだ頑張っていました。それが、大型店のイオンがオープンしてからは、一転して転落に落ち込んだようです。川徳は苦しいながらも百貨店としての道を歩み、なんとか持ちこたえています。ただ、店舗も老朽化し、狭く目新しいもののないダイエーは完全に客が遠のいたようです。

シャッターの下りたダイエー盛岡店の前に立ち、私の青春の1ページが終わったような寂しい思いになりました。盛岡市には、ダイエーグループのフランチャイズ店「シティ青山」という店があります。ここはダイエー盛岡店よりも面積が広いです。ダイエーブランドはここで継承されていきます。

そして、ダイエー系列のもう一つの店、十字屋仙台店も11月30日に閉店となりました。

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