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2006年1月31日 (火)

セントレア

先日本社への出張で名古屋へ。東京勤務の時は、自宅から近い新横浜から新幹線でしたが、仙台からでは飛行機です。飛行機に乗るのも久々でしたが、時間がよくありません。空港で少し待ち時間があります。

まず仙台空港。以前仙台に勤務していた時は、きたないローカル空港でしたが、12年ぶりに訪れると、なかなかオシャレで綺麗な建物になっていました。でもやはりローカル空港です。そして、名古屋のセントレア。愛地球博にあわせて開港したもので、こちらも綺麗な建物。以前の小牧空港に比べたら、見違えるようです。開港の時かなり話題になり、温泉があるとかテレビでいろいろと紹介されました。名古屋から来ている同僚が、いろいろと案内してみどころを説明してくれますが、私は「ふ~ん・・・」といった感じ。仙台採用の同僚は「仙台空港より大きい」と感激していましたが。

私は羽田空港を見ているので、いくらセントレアが新しく綺麗といっても羽田に比べるとたいしたことはありません。売店もレストランもそれほどなく、新幹線の駅ビルと店の感じは変わりません。やはり、東京にはかないませんよ。

名古屋の方には悪いのですが、名古屋の人は少し世間知らずのところがあります。というのは、名古屋はそれなりの町なので、名古屋だけで用が足ります。まず普通の生活をする上では不便はありません。都市機能も発達しているので、あまり他の町と比較はしません。名古屋にいろいろなビルが出来ても、名所ができても、オシャレなスポットができても、それと同じがそれ以上のものは東京にも大阪にもあります。それにあまり気が付かないのが名古屋の人に多いです。何でも東京中心というのがいいとは思いませんが、名古屋の人は名古屋が地方都市だとは意識していません。

東北の人は、仙台が都会といっても東京依存型です。すべてが東京の管轄です。東京の文化と地元の文化の違いははっきりと意識して、使い分けています。ずっと東京依存で過ごしてきた東北。特に仙台は商業でも大きな市場のある「穴場」とされています。楽天の進出とともに、様々な東京資本の進出が計画されています。仙台も少し変わるのでしょうか?

セントレアに行ってそんなことを考えてしまいました。

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2006年1月29日 (日)

小田和正さん

先日、NHKの番組で小田和正さんの特集をやっていました。そして、驚いたのは小田さんの年齢。58歳なんだそうです。私が43歳ということを思えば、不思議ではないのですが、私が高校生の頃はオフコース全盛時代でしたので、小田さんのイメージはあの頃のままです。

あの澄み切った高い声。そして、どこかもの悲しい旋律。オフコースの曲は少し大人になりかけた高校時代には特に印象的でした。高校生の時に好きだった曲は「Yes No」。あのイントロの部分がなんともいえないくらい。その後オフコースは解散し、小田さんはソロとして活躍し、大ブレイクしたのが「ラブストーリーは突然に」です。フジテレビのドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌でした。あの詞も、ドラマにマッチしていたし、小田サウンドに乗り、切ない恋を上手く表現していました。

今回の番組では、小田さんのコンサートに中高年世代(私よりももう少し上の団塊の世代の方)が多く来場しているということが取り上げられていました。小田さん自身もラブストーリーは突然にから新曲の売り上げが減り、それまでの路線とは曲の作り方を変え、自分自身に問いかけるような曲を作っていったとのこと。それが、小田さんと同世代の心を捉えたようです。

また、小田さんのコンサートでのエネルギッシュな様子も紹介され、58歳という年齢を感じさせないパワーに驚きました。

あの頃・・・。私の青春時代だったのですね。

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2006年1月23日 (月)

新聞のテレビ欄

新聞のテレビ欄をみて不思議に思うことがあります。東京などの関東版は、どこの全国紙でもテレビ局の順番はチャンネル順。

NHK総合1-NHK教育3-日本テレビ4-TBS6-フジテレビ8-テレビ朝日10-テレビ東京12

といった感じですね。しかし、地方に行くと違います。私は朝日をとっているので、仙台(宮城版)は、NHKの次は、テレビ朝日系の東日本放送が来ます。あとは、東京と同じく日テレ-TBS-フジ系列の順。私の実家のある岩手県版の朝日新聞もNHKの後はテレビ朝日系の岩手朝日テレビが最初。あとは東京や仙台とならびが同じです。

朝日新聞はテレビ朝日の系列なのでそんな感じなのでしょう。そして、毎日新聞はTBS系の局が最初、読売新聞は日本テレビ系の局が最初です。なので、読売新聞は東京と同じ並びになります。サンケイ新聞はフジテレビ系が最初です。日本経済新聞は、系列のテレビ東京のネット局がないので、基本的に東京と同じ並びです。

青森県は、フジテレビ系がありません。サンケイ新聞は岩手・青森合同の番組表なので、ブジ系の岩手めんこいデレビが最初で、青森県の局は日テレ・TBS・テレ朝の順。秋田県はTBS系がないので、毎日新聞は秋田放送(日テレ系)が最初です。

地方新聞社は、だいたい地元の一番設立の早い放送局と密接に関係があるのでそこが最初。

基本的に新聞社とテレビ局の関係をいやおうなしに見せ付けられます。でも、東京版はどうして、民放はどの新聞社も日本テレビが最初なのでしょうね。逆にそれが不思議です。私の実家はずっと朝日新聞でした。岩手県の民放でテレビ朝日系の局が一番後に開局しました。なので、ずっとNHKの後は日本テレビ系の番組でした。そして、東京に出て、一人暮らしをしても朝日新聞なので、NHKの次は日本テレビ。それに慣れていたので、17年前に社会人になって仙台に赴任した時、朝日新聞のテレビ欄がNHKの次にテレビ朝日系になっていたので、少し違和感が。そして、また12年間東京で暮らしもとの感じに戻ったと思ったのに、また・・・。たかがテレビ欄ですが、不思議な感じです。

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2006年1月22日 (日)

リスニングテスト

21に行われた、今年の大学入試センター試験。首都圏の雪で大変だったようですが、何とか無事に第1日目は終了しました。

ただ、今年から実施された、英語のリスニングステト。個別音源機器を使用しての試験でしたが、機器の不具合があり、400人以上が再テストを行ったということでした。英語教育を紙の上だけの文法や読解だけのものから、生きた英語力をつける意味で導入されたものでしたが、はじめからこのような事態は予備校関係者からは予測されていました。日本人は英語は読める(私は読めませんが)けど聞いたり話すことは苦手。そういうことを解決しようとしたものなのでしょうが、聞き取りだけをやってもあまり効果はあるのだろうかということもありました。ただ、試験なので話すことは一斉試験ではできないので聞き取りだけでもということに。一斉放送では、席の場所によって有利不利が出ることもあるので、みんな同じ条件でというのが、この個別音源方式。

この機器は、一度スタートポタンを押すと一時停止や巻き戻しができません。最初に音声確認がされるので、いきなり始まるわけではないのですが、こういうものに慣れていないと受験生はとまどいます。予備校などで行われる模擬試験では、この個別音源機器を利用したテストが準備され、受験生はそのテストで練習をすることになります。

本番試験でも機器代として受験料はアップ。そして、模擬試験も受験料が高く設定されました。今回のトラプルは、機器の不調によるものがほとんど。途中で音が聞こえなくなったり、音声の高さが変わったり。機器の製造元でも出荷前にチェックをし、試験本番でも最初に音声確認。それでも不良品はでました。冷静に考えると、製造コストを低く抑えた製品。それがかなりの数が用意されます。そうすると何個かは不良品が出るのは当然。大学入試センターは、これほど不良品が出るとは思わなかったので、対策を考えていなかったというけれど、それは少し甘い考えのように思います。

そして、今回の問題は機器の不調は受験生の自己申告によるものです。当日の体調で聞こえが悪くなる場合もあれば、聞こえにくい状況は人によって異なるもの。もし機器の不良で音が聞こえにくくても、それが正常な状態と思わなくてそのまま受験した人もいるでしょう。また、正常なのに、不良と申し出れば再試験が可能になったり。そして、本番では不良でも後で係員が確認したら正常だったということになった時どう判断するのか。意識的に不良と訴える受験生もいるかもしれない。そういった危惧き、模擬試験を主催した企業からは常に問題視されていました。それでも大学入試センターは業者テストと本番テストは違うと無視してきたようです。

再試験をやるから、有利不利はないということでしたが、精神的な負担は大きいのです。それをまったく考えていないのでは?

また、今年の時間割。英語の時間が終了するのは20時近く。これで第1日目です。翌日2日目があります。20時を過ぎても、東京などの首都圏では電車などの交通機関が発達しているので、受験生の帰宅に問題はありません。しかし、地方では20時ほ過ぎると公共交通機関がないところもあるのです。これは、本当に都会に人の感覚で考え出されたものと思わざるを得ません。

リスニンク゛の得点も50点と英語の他にプラスされています。これも少し変。英語の200点の中に組み入れることをしないため、受験生にとっても負担増です。そして、リスニングを得点として利用しない大学もあり、不可解な現実が残ります。

最初の年なのでいろいろとあったのでしょうが、今年の受験生は少し気の毒だったかな?と思います。2日目は、1日目のことは忘れて、頑張って欲しいと思います。

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2006年1月16日 (月)

光熱費が高い。

昨日、今日は寒さが和らいだといってもまだまだ寒いです。

ところで、今月の電気代・ガス代の明細書を見て愕然。電気代はなんと14,738円です。先月は7,783円なのでほぼ倍。月の3分の1ぐらいは出張でいないのになぜ?それは主にエアコンの使用です。一応省エネルギータイプなのですが、今冬は大変寒いのでフル回転。やはりエアコンは電気代がかかります。転勤前の家は、やはりエアコン暖房でしたが、家族3人で、毎日家にいて、一番多いときでも2万ぐらいでした。それが1人住まいで、家にいない日もあるのに。

もともと、私は寒がりで部屋の中をガンガン暑くして薄着でいる人間です。家族と住んでいる時も、もっと厚着をしてくれたら電気代も浮くのに・・・と妻に言われていました。今は電気は使いたい放題。やはのこれは高いです。

そして、ガス代。今月は2,260円、先月は1,749円でした。これは風呂だけですが、水が冷たいのでカズの使用量も増えます。転勤前は家族で3,000円くらいでしたので、こちらも高いです。

電気代は、ここ仙台の東北電力は東京電力に比べ単価が高いです。またガス代も同様です。とはいえ、少し使い過ぎのようですね。やはり寒いと光熱費もかさみます。少し節約をしないとと思っています。

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2006年1月10日 (火)

魔法瓶

ジャー式ポットのことを「魔法瓶」というのですよね。これを作っている企業名も「タイガー魔法瓶」とか「象印マホービン」というのが正式な社名のようです。

熱いものや冷たいものを保温するもの。一般家庭では普通に使われているもの。普通は「ポット」と言われていますが、これは「魔法瓶」の原理を使っているのですね。

最近のポットは電気でお湯を沸かしてそのまま電熱で保温する「電気ポット」が主流になってきましたが、省エネ対策として、「電気で沸かして、魔法瓶で保温」というタイプも出てきました。この魔法瓶の原理はまだまだ健在です。

さて、私が注目したのは「魔法瓶」という言葉です。「魔法」というのは、少し宗教的なイメージもあったり、現実にはないもののたとえとして使いますが、きちんとした製品の名称に使われているのには不思議な感じです。この魔法瓶という言葉はどういういきさつでついた名前なんでしょうか?当時は、まさに「魔法」のような「瓶」だったのでしょうね。そして、日本語の訳にいいものがなく、そのまま一般的になってしまったのでしょう。

魔法瓶といういう響き、とても印象的で味わいのある言葉ですね。

でも、私の部屋には電気ポットだけなので、魔法瓶はありません。

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2006年1月 9日 (月)

小田急線の複々線問題

小田急線の世田谷代田~喜多見間の高架複々線工事で、住民が訴訟を起こし住民が勝訴したという問題がありましたね。これは、工事の過程での住民・小田急電鉄・東京都の間での意思の疎通が上手くできていなかったことが原因のようです。訴訟から判決までが長い期間にわたる日本の裁判制度。工事差し止めの強制執行が行われなかったために、この区間の高架複々線工事はほとんど終了してしまいました。

小田急線は、「いつも混んでいる」電車でしたが、急行の本数を増やし、目一杯のダイヤを組むことで、混雑度は減りました。今は田園都市線の方が混雑していますね。ただ、そのために、各駅停車を急行が追い抜くことができずにダンゴ状態となり、急行はただ駅に止まらない(というか、通過駅に停車してもドアが開かない)だけとなり、登戸から新宿まで朝のラッシュ時間帯でも相当時間がかかっていました。また、踏み切りも多く、開かずの状態のところが多くて、慢性的な交通渋滞。それを一気に解消しようとしたのが、この高架複々線工事でした。最初の工事が始まってもう20年くらいになるのでしょうか。小田急線を利用するたびに、とぎれとぎれに用地買収がされていますが、住宅密集地のためまったく工事が進んでいない状態で「いつできるのだろう」と思っていました。

喜多見~和泉多摩川間がまず先に完成しましたが、世田谷区内は用地買収が難航。私は浪人時代に予備校の寮が豪徳寺にあり、そこから学校のある南新宿まで小田急線で通っていました。各駅停車を利用しますが、いつも東北沢で延々通過待ち。それでものんびりとした感じもあり、世田谷区内の豪徳寺や梅が丘の駅は小さなつくりで風情もありました。

それが、今回の高架複々線化で近代的な立派な駅に建て替えられました。家族の居る家に帰省する際は、新宿駅から小田急線の急行に乗りますが、世田谷代田~和泉多摩川間は、複々線のため、各駅停車と急行が併走します。これで少しはスピードアップが図れたのかなと思います。ただ、世田谷代田から東北沢まではまだ複々線化工事が終了していません。このため、千代田線との分岐点の代々木上原までは、ダンゴ状態は続くのです。特に下北沢駅は、もう土地が飽和状態で用地買収が難しいとのことです。そのため、小田急は、上下2階層の地下駅化で複々線工事を進めています。しかし、下北沢駅周辺は地盤があまりよくないとの噂もあり、いつ完成するのでしょうか。

新しくつくり変えられた世田谷区と狛江市の駅は、みんな同じようなスタイルです。これはこれで統一感もあっていいかも知れませんが、駅と街の独自性もなくなったようで少し異様な感じもします。

訴訟問題もこれからいろいろとあるようです。ただ、沿線住民にとっても高架複々線はいいことなのだと思うのは、多摩川を渡った先の利用者の考えのようで、世田谷区民にとってはいいことばかりではないようなことらしいです。

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2006年1月 6日 (金)

My Revolution

昨年のNHK紅白歌合戦はも視聴者アンケートにより「スキうた」という企画で出場者や曲名が決まったようです。その中で、懐かしい歌手が出ていました。初出場ということで「渡辺美里」さんです。実力派の歌手ですが、紅白には縁がなかったようですが、代表作の「My Revolution」が支持を受けた結果。

久々に見た渡辺美里。「え~・・・」という感じ。かなり体格もよくなっていたし、オバサン。なんて人のことはいえないですよね。My Revolutionがヒットしたのは1985年で、今から20年前のこと。この年の生まれた人は今年成人式ですから。あの頃は私はまだ大学生で、結構遊んでいた頃。親から開放されて都会での一人暮らしを謳歌したいた頃なので、この曲が何となく気に入っていました。

紅白で歌う渡辺美里は、以前のようなステージを駆け巡る姿はなかったものの、エネルギッシュな雰囲気は残っていました。このMy Revolutionの作曲は、小室哲哉です。それも初期の作品で、彼がまだTM Networkで活躍していた時代です。その後小室サウンドは歌謡界を総なめにしましたが、そのブームも去り、今は忘れられつつあります。初期の小室サウンドも懐かしい気分になりました。

もう20年経ってしまいましたが、感慨深い曲。それが「My Revolution」です。

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2006年1月 5日 (木)

誕生日

誕生日といっても、私の誕生日ではありません。私の下の子が、今日1月5日で満1歳になります。妻も初産ではなかったのですが、高齢出産の年齢で、上の子と9歳離れているので、昨年は久々のことで大慌てでした。やはり正常分娩は体力的に無理とのことで、帝王切開をして、妻はしばらく退院できませんでした。

年を経てからの子供は特にかわいいのですが、私は、この子と暮らしたのはほんの1か月足らず。転勤で単身赴任となり、月の数回しか「ご対面」できません。ただ、父親がいなくても子供は立派に育ちますね。義父母がいるので、多くの人と接して育ったせいか、人見知りもしません。私がたまに帰ると「この人誰・・・?」みたいな顔をされるのが残念ですが。最初は私が抱いたり、風呂に入れるとすぐ泣き喚くので、あきらめていましたが最近は私が抱いても平気なようです。

今年の正月は、この子が生まれて最初の年越しということで私の実家に帰りましたが、新幹線の中でもそれほど泣きませんでした。というより、もう泣く年じゃないのかな?上の子が生まれた時は、私は仕事が忙しくあまり風呂に入れたことはありませんでした。そして久々なので、下の子は大変。まるで新米パパです。感覚も忘れてしまった。

子供がいると、夜泣かれて眠れなくて、睡眠不足になります。上の子の時はかなり悩まされました。でも今回はそういうことはなくていいのですが、子供と少し慣れたと思ってもまたそれぞれに場所に戻らないといけないのです。仕事だから仕方ないのですが、やはりわびしさも残ります。

私に似たのか、もう体重が10キロもあります。重いです。そして、捕まるものを伝わって立って歩きます。まだ、普通のものは食べられないし、普通の言葉も話せません。それでもずっしり重くなっていくわが子に、子供の成長の早さを感じました。

まだまだしばらくは単身赴任が続きそうです。そして、4月までは仕事も忙しくなり、あまりこの子と会う機会もないかも知れないけれど、「オレのこと忘れんなよな~」と思っています。

「お誕生日、おめでとう」

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2006年1月 4日 (水)

箱根駅伝-駒大5連覇ならず-

新年の恒例行事に「箱根駅伝」があります。日本テレビ系列で中継されますが、我が家でも実家でも毎年テレビ観戦です。

箱根駅伝は、関東地区の大学対抗戦。陸上界では、全日本の大会があるのですが、なぜかこの関東地区だけの大会が人気です。2日間に分けて行われるのと、東京-箱根間という風景がまた人気があるのだと思います。大学対抗の駅伝大会は、出雲・全日本・箱根と3大会ありますが、シーズン最後の箱根。何となく箱根の前哨戦が出雲・全日本となっているみたいで、少し変な気もします。

さて、箱根駅伝は、東京大手町の読売新聞社東京本社前から箱根の芦ノ湖畔までの往復です。平地から、海岸線・箱根の山登り・山下りなど起伏に富むコース。10人のランナーで襷を繋ぐこのリレー大会は、様々なドラマを生みます。前評判の高い選手でも本番でブレーキをしたり、ずば抜けた選手がいなくても総合優勝をしたり。今年特にそれが顕著に顕れた大会でした。

箱根駅伝を見る理由はもうひとつあって、私と妻の母校が駒大なのです。私達が学生の頃は、駒大といえば野球が有名で、陸上部はそれほど強くなかったです。今の大八木監督の前の監督の森本先生は、私も妻も体育実技で陸上をとった時の教官でした。体育実技の種目を選ぶ時、陸上を選ぶ生徒はあまりいません。ただ、私は球技が苦手だったので陸上を選びました。妻は抽選に漏れて陸上に回ってきました。「出席していれば単位はもらえる」との話で出てみたら、50メートル走はやるは、高飛びはやるは幅跳びもやるしハードルもやるしで大変でした。そしてみんな記録を取られたし。私は中学の時陸上部だったので、できないわけではなかったのですが、もともと運動音痴なので、いい記録にはなりませんでした。ただ、出席していたので、単位は「優」をもらいました(2年次は別の種目なので落としましたけど)。森本先生をみると、あの時の思い出もよみがえってきます。

今年の箱根駅伝。駒大には5連覇の期待がかかります。毎年来る大学の同窓会から、神奈川支部のままになっている私のところに、今年は「5連覇のために応援しよう」ということで、各スポットの応援場所の地図が送られてきて、「みなさん、集まってください」との案内が来ました。

出雲・全日本とふるわなかった駒大ですが、優勝経験のある選手が多く残っているためか、前評判は上々でした。第1日目。1区から2位で中継したものの、だんだん順位をさげていきます。ただ、昨年も駒大は復路にエースを揃えていて、2日目で逆転していきます。エース級の選手がいなくても「総合力の駒大」ということで、それほど心配はしていません。5区の山登りでなんと2位になり、1位との差は30秒ということで、ますます期待が膨らみます。別にそれほど母校愛があるわけではないのですが、やはり少し応援に力が入ります。

2日目。2位からまた転落。ただ、8区でまた逆転し、脱水症状になった順大の選手を抜き、今度はトップに。「やってくれるね駒大」と期待もまたまた膨らみました。ただ、それも少しずつ雲行きが危うくなりました。9区で亜大に抜かれました。しかし、アンカーは昨年区間賞を取っている選手。10区で逆転・・・・と思いましたが、この選手も途中で大ブレーキ。最後はさらに抜かれ、結局総合5位に終わりました。残念。

後日インタビューや新聞の記事を見ると、選手達の悔しさが書かれ、みな号泣していたとのことでした。5連覇の重圧がかなりあったのだと思います。4年生は、入学した年の大会で、優勝したのですが、3年生以下は「優勝チームの駒大」に入学してきた人達です。常に「優勝」というプレッシャー。また、今年のチームも出雲・全日本とそれほど振るわなかったので余計に「箱根」はという重圧。これは大変なものだったと推測できます。「5連覇の夢」それは大切な目標ですが、今年の駒大にはその重みに耐え切れなかった選手が多かったのではと感じます。無心で走り続けた亜大。そこには伸び伸びとした走りがありましたね。

「追われる者」と「追う者」。それぞれ立場が違いますが、「追われる者」の方が、より高い精神力も要求されるようですね。駒大の選手のみなさん、お疲れ様。良く頑張ったよ。今度は、今年の悔しさをバネにして、「追う者」になってまた復活してください。そして、来年は伸び伸びとした「自分の走り」ができることを期待しています。

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