« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月27日 (日)

友人の墓前と鑓水

今日は、大学時代に亡くなった友人の墓前を訪ねてきました。命日でも何回忌とうわけでもありませんが、先日他の友人のお子さんが亡くなられ、その方も大変若くして亡くなり、学校の友人の方も多数参列していたのを見て、ふと思い出しました。

彼とは、大学時代のサークルの友人です。2年間くらいの付き合いです。特に親しいというわけでもなかったのですが、同学年だったので次期の役員になる仲間としていろいろとサークルの方針などを話し合っていました。彼のお母様が亡くなられ、彼が家の事をすべてやらないといけないということになり、彼は役員候補から外れ、そのポジションが私が横滑りした経緯があります。しばらくして、彼本人の死。それも不可解な死因でしたので、当時の私にはショックでした。

彼との2年間はそれほど親交はなかったのですが、これからもっともとっといろいろと意見を交わしたり、議論したり、酒を飲んだり・・・ということができたかもしれない友人でした。

あれから20年以上が過ぎました。彼は埼玉県の東武越生線の沿線にある墓地に眠っています。墓園のある駅だけは覚えていましたし、かなり大きな墓園なのでそこまではたどり着けましたが、場所がわかりません。彼が亡くなって、告別式に参列した後、お父様から「納骨の時に、みんなで送って欲しい」というので、この墓園に行きました。その時はどうやって行ったのか、そしてその後もう一度訪ねたことがありますが、その時はどうしたのか、20年の歳月はあまりに長過ぎました。

調布インターから、中央高速に乗り、八王子から圏央道へ。鶴ヶ島で高速を下り後は下道。墓園までは問題なく着きました。管理事務所で彼の眠る墓の場所を尋ねますが、管理費を払っている名義人の方のみの登録なので住所と名字だけを頼りに。彼のお父様の名前もよく覚えていませんので・・・。そこで、それらしき墓を教えてもらいましたが、登録されている方の名前が変わっていました。お父様も亡くなられたのですね。今登録されている方は、彼の弟さんの名前のようです。

教えてもらった場所・・・、確かに記憶があります。墓標にお母様の名前と亡くなられた年と年齢。そうです・・・、ここです。ただし、彼や彼のお父様の墓標はありませんでした。納骨の時に、お父様が「この墓標に名前を書いてしまうと、もう息子は帰って来ない。死因もまだわからないので」と涙ながらに語っていたことも思い出しました。ずっとお父様はその思いを抱いていたのですね。そして、お父様はまだ墓標がないのは最近亡くなられたのでしょうか。

彼の墓前で・・・、何も話すことはないのです。彼との時間は20歳ぐらいの時。もう40歳後半になった私には何を話したらよいか・・・。そんな感じです。ただずっと備えた線香が消えるまで墓前に佇んでいるだけでした。

友人の墓前を訪れる機会なんて、一般的にあまりないのでしょうね。ただ、ずっと忘れていましたが、青春の一時をともに過ごした彼のこと、そして彼が生きられなかった年月を無事に過ごして来たことに対しての感謝の気持ちを忘れずに、折りに触れてまた彼の墓前を訪ねてみようと思います。

来た道をまた戻りますが、帰りは八王子で下りて、多摩ニュータウン経由で帰途に。まだ時間があったので、一度訪れてみたいと思っていた、鑓水の「絹の道」へ。鑓水と言えば、今は、多摩美大の広大なキャンバスがありますが、ここはかつて日本のシルクロードと言われたところです。信州などで生産された生糸を横浜から海外へ輸出するために運ばれた道です。鑓水のルートは「浜街道」と言われていますが、今の国道16号線の旧道にあたるもの。また、現在の町田街道も同様に絹の道と言われていて、実際にはこちらがメインだったようです。原町田・長津田・十日市場などの街は、その街道を支えました。

鑓水は、八王子の南部の御殿山の裏手。ここは、町田のような大きな街にはなりませんでしたが、メインルートから隠れた場所ということでも独自の文化が生まれ、豪商も出現したらしいです。キリスト教の布教のための洋館があったり・・・といった古い伝承文化と新しい文化が交差したところでもあるようです。

1 2

ニュータウンの大きな道路から、見落としそうになる小さな角を曲がったところに、「絹の道資料館」があります。八王子市が管理して、入場無料。記帳が必要です。「絹の道」とされているところは、未舗装で文化庁の「歴史の道百選」・八王子市の指定史跡になっています。この資料館を中心に散策コースになっています。

3 東京都内とは思えない鑓水の風景です。都内でも奥多摩方面ならばまだしも、隣は多摩ニュータウンです。私の住む横浜市北部も絹の道と絡むものはたくさんあります。また、このあたりは、古くから鎌倉へ通じる道があり、ミステリーも多いところ。なぜか、八王子・町田などの南多摩地区や川崎・横浜の北部の歴史については、あまり取り上げられていない様子。ただ、江戸(東京)の近くなので、人の行き来はあったため、それぞれの歴史が。ぜひその足跡も訪ねてみたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月23日 (水)

常磐道は空いている

いよいよ、帰途。米沢からは国道13号線で福島へ出る予定。

しかし・・・、何と雨。結構降っています。ジャケットのインナーは防水機能があるのでそのままで出発。途中の栗子峠、ここはいいワインディングロードですが、視界も悪く雨で滑るのでゆっくりと通過です。晴れていれば・・・と思いましたが、天気だけは仕方ないです。

福島に着いて、そこから東北道へ。これから栃木県内で渋滞になるとのことで、郡山から磐越道でいわきへ出てそのまま常磐道で帰ることに。磐越道に入ると驚くほど車がいません。常磐道へ入っても、水戸を過ぎて車が多くなりましたが、それほどでも。平気でスピードも出せます。柏の先から少し込みましたが、止まることはなくて。少し遠回りですが、渋滞のイライラよりはいいかも。首都高も銀座経由の方が空いていて、いつもの休日の混み方と同じくらい。渋谷付近が混むくらいでした。

現在の東名は、中央道が東北道と常磐道のような役割にならないので、互いに混むのかも。まあ、通過地点の人口も東北や北関東はよりもはるかに多いので当たり前とえばそうでしょうが。

何とか無事に帰ってきました。バイクが雨で汚れたのでパーキングで軽くお掃除。週末に洗車ですね。それと、バイクはやはり車からはわかりにくいのですね。今日、常磐道で合流の時、私が真ん中の車線を走っていたのに、左車線から合流の車がわたしのすれすれに寄ってきました。まさかそのまま入らないだろう・・・と思っていたら、だんだん寄ってきます。私はすかさずライン上に逃げて無事でしたが。その車は外車で左ハンドルなので私がわからなかったのかも。恐いです。

今回は往復で、約1,000キロ。腰と手が多少痛いです。ガソリンは全部で8,000円弱。ハイオクだから高いのです。結局のところ米沢が一番安かったです。燃費は18~20キロぐらいです。渋滞による低速と高速で少し飛ばすとガソリンの消耗が激しいようです。

疲れてくると、パーキングで止めたバイクの取り回しが重いです。走るで軽快ですが、この手のバイクは重くて・・・。ハーレーなんてもっと重いでしょうに。

泊まりで行くツーリングは今年はこれで終わりです。次の連休は、家族旅行があるのでこちらもまた大変・・・。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年9月22日 (火)

天地人博へ

いよいよ米沢市へ。

大河ドラマにあやかって、天地人博が開催されています。これは、地元の主催ですが、NHKとのタイアップの様子。米沢市は、私が新人の頃の担当地域で顧客もいい方。何度も足を運びました。あれからもう20年近くになりますね。本当に久々です。当時は米沢市内は簡単に道順もわかったのですが、20年の歳月ですっかり忘れてしまいました。私の前の担当者が、上杉家のことをよく知っているいる人で、直江兼続がとうのとか、廟所の歴史とか林泉寺が新潟から移って来たとか、長尾景虎がどうしたなど話してくれましたが、私は興味がなく話を半分に聞いていましたが、まさに今それがドラマになさっていますね。ただ、ドラマで米沢が舞台になるのは最終回のあたりかな~。天地人は11月で終了なので、後もう少しです。ただ、直江兼続は米沢の町をつくり、米沢で亡くなっていますので、ゆかりの地には間違いありません。

1_2 2_2

ここは、上杉家廟所。お墓なので、史跡であっても上杉家のものなのだそうです。公開されていますが、入場料ではなく「香華料」となっています。以前から、凄いところ・・・と思っていました。私は会社からお客が来た時は必ずここを案内していたました。

Photo_7 Photo_8

左の写真は、第二代上杉景勝の廟。右は上杉謙信の廟です。謙信のものは、新潟から持ってきたものらしいです。米沢という豪雪地帯で、ずっと守られてきたのは凄いですね。

Photo_9 Photo_10

左が上杉神社。右がその境内にある伊達正宗誕生の地です。伊達正宗は米沢城で生まれたのです。米沢市は今でこそ県内で山形市が一番大きな街ですが、かつては米沢の方が大きかったらしいです。

1_3 2_3

天地人博会場の上杉博物館。以前はこんな立派のものではなく、小さなものでしたので、見て驚きました。ここは、県の地域ホールと市の博物館の合体なのだそうです。館内には、天地人の出演者が招待された時の写真やサインがたくさんありました。

Photo_11 こちらは、写真撮影が許可されたものです。レプリカです。また、天地人博の展示物には、いわゆる「直江状」(写し)や狩野永徳の「上杉本 洛中洛外図屏風」の本物が展示されていました。こちらは国宝ですが、永徳の作品かどうか疑問視する声もあるとか。また、今は直江兼続が話題ですが、以前は上杉鷹山が有名でした。米沢藩の財政危機を救った技法が現代とオーバーラップされ、経済界でも取り上げられたものです。そちらのコーナーもありますが、今は兼続一色といった感じです。

Photo_12ホール内にあるキャラクター。かわいいですね。米沢藩は、上杉家が関ヶ原の戦いで家康に反抗したため会津藩より大幅に減封され、移転してきました。ただし、家来をすべて移動させたので、大変な財政危機。直江兼続の努力も後世には底をついたようです。それを立て直したのが鷹山。現代においても米沢市は財政破綻団体になりかかった自治体。今は回復しているようですが・・・。

そして、この日大変なアクシデント。バイクから降りてヘルメットを取るためにメガネを外した瞬間、レンズが外れてしまいました。ネジが緩んでいたのです。いつも泊まりの時き必ずスペアのメガネを持参していたのですが、この日に限って持っていませんでした。メガネがないとバイクは運転できません。明日には横浜まで運転して帰るのです。外れたネジを何とか探して、レンズはセロテープで一時的に補強。近所にメガネ屋は・・・ありません。唯一のデパートに駆け込んだのですが、そこもメガネの取扱はないとのこと。時計・貴金属コーナーにダメもとで聞いてみたところ、ネジがあれば止めるだけなら・・・とやってもらいました。メガネ用には小さなドライバーでないとダメなのです。無料で直してもらってホッと・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

山形蕎麦ツアー

バイクの練習コースを通り、次は山形市へ。仙台市から山形市へは2通りの行き方がありますが、今回は国道286号線で。この道は最初に仙台に赴任した時、山形担当だった私がよく通ったところです。その当時は山形道は宮城川崎インターまででしたので、そこからは下道です。仙台~山形のルートは山形道がメインのため、286はその役目を終え、地域の人の生活道路になっています。なので、渋滞もありません。あの当時からあったドライブインは、まだ細々とやっているようです。

奥羽山脈越えは、笹谷峠。山形道が開通する前からこのトンネルだけは有料道路としてありました。その時と同じ感じで、宮城側からトンネルへ。本当は、笹谷峠の旧道を通りたかったのですが。バイクなら十分に通れる道ですが、無理は禁物・・・ということで素直にトンネルに入り、山形市へ出た後は、下り勾配がきついので、そのまま山形道で山形蔵王インターまで。あっという間でした。

Photo 286号線の宮城県側にある釜房ダムです。このあたりは国営公園となっていて、訪れる人も多いようです。ここは、川崎町ですが、仙台市と山形市は隣接しています。ただ、仙台市と山形市だけを通って行き来できるのは、二口峠しかありません。ここは現在通行止めになっています。二口峠のずっと手前までは、仙台に居た時に訪れたことはあります。

1 山形市は、以前担当だった時、そしてバイクで遠出・・・という感じで仙台に居た時は何ども訪れています。そして、山形市役所と山新メディアセンターの間にある「丸五そば」のげそ天もりというものがとてもおいしいことを発見。文字どおりイカのげそ天ともりそばです。今回も・・・と思ったのですが、何と「日曜・祝日休み」なのだそうです。そうですね官庁街ですから・・・。そして私も仕事で山形に来た時によく食べていたので・・・、以前からそうだったかも。ちょっと残念。

Photo_2 ということで、別のそば屋さんへ。ここも結構おいしいのです。ここへは、以前仙台のスポーツクラブの仲間と山形のプールへ飛込み練習に来た時に寄ったところです。こちらは正統派で、手打ちのそば。駐車場が狭いのでいつも満車状態。バイクなので場所は確保できましたが。丸五そばから通りをはさんだ反対側です。店内はやはり満員でしたが、私一人なので待つことなく・・・・。

Photo_3 「羽前もり」というものです。こういうタイプのものは一般的に板そばというそうです。1.5人分で800円。量的にいえばそれほど高くはありません。手打ちなので麺は太く、短く切れ歯ごたえもあります。信州の更科そばとは違うので、好みによって賛否が分かれるものです。私はどちらも大好きですが、あえていえばこちらの方が好きです。また、ここはそば屋ですが、ラーメンもあります。そういえば、山形市ではほとんどのそば屋でラーメンがメニューにあるようです。

Photo_4 米沢ほ向かう途中、ふと立ち寄ったコンビニの前にある山形銀行城南支店です。建物がちょっとしゃれた感じなので。今山形市は市の中心部の道路の拡張工事が多く見られます。城下町なので、細く入り組んだ道が広い道へと変わっています。街の機能としてはいいのでしょうが、歴史的な風景がなくなってしまうようです。私の故郷の盛岡市は市内の道路の拡幅工事はまったくできていません。そのため中心部では渋滞が起こります。どちらがいいのかはわかりません。

Photo_6 2

東北中央道を通り、上山からは国道13号で米沢へ。途中で車がまったく動きません。高速道路と違い、道幅も狭いので、そう簡単にすり抜けはできませんが、何とか渋滞の先頭に来たら、事故でした。これからレッカー移動をする様子。エンジンを止めてバイクから降りました。一本道の事故は大変な渋滞になるのですね。南陽市付近です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バイクライフのはじまりの場所へ

この連休の天気は良い・・・、とのことでしたが曇りがちの空。それでも薄日も差します。

今回は東北への旅ということで服装は・・・。結構悩みますね。関東だとまだ夏用のジャケットでも大丈夫。でも東北はもう朝夕は冷えます。ただ、冬用のものでは暑いかな・・・。とうことで、夏用のジャケットに専用インナーをつけて(メーカーでも春秋の肌寒い時にはピッタリと言っている)、下着の上に冬用のインナーを着ました。パンツはさすがにメッシュの夏物だと寒いので革パンです。高速で長時間風にあたると少し冷えますが、今頃はこんな感じで快適です。これが10月になると東北はもうこんな軽装ではダメですが。

前日は、約400キロの道。東京~青森の中間点の340キロポストが仙台宮城インターの先にあります。横浜からだと400キロ。それなりに疲れたのと、ガソリンが減る・・・・。仕方ないですね。

今日は、仙台市内でバイクライフを始めた思い出の地を巡ります。

1 2

まずは、教習所。今日は祝日で休みでした。ここからすべてが始まりましたね。何度通ったか・・・と思うと。全然変わっていませんね。

3 中央のクランクとS字のパイロンがあるのがバイクのコースです。その奥の坂道は、バイクと車が共通。坂を登って左側に苦労した一本橋があります。何度も何度も失敗して・・・。私のような大変な教習生は、しばらくいないのでは・・・と思いますがどうでしょうか。ここで、普通二輪の教習を受けなければ、バイクライフは始まらなかったので、原点の地でしょうか。

1_2 免許を取って、400CCのバイクを買って、少し走れるようになってからの練習コースです。休みの日にはこのあたりを走っていました。社宅からすぐ近くです。田園風景ですが、ここからもっと奥に、大きな団地もあるのです。往復10キロ位のコースです。

2_2 道はこんな感じ。抜け道のようなところなので、それなりに交通量があります。郊外特有の勾配とカーブがあり、初心者の私にはヒヤヒヤでした。今は楽に走れますが、あの頃はこの往復10キロがとても長く感じていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月21日 (月)

東北道経由で仙台へ

仙台出張の翌日、また再び仙台へとバイクで出かけることにしました。世の中は5連休で、みんな家族旅行に出かけているのですが、うちは私が出張があり、家族もそれぞれ用事があり・・・ということで、私も年に一回しかできない泊まりがけのツーリング。

今回の予定は、2泊3日で仙台~山形~米沢。行くだけで結構かかるのでゆっくり観光スポットをめぐることはできませんが、バイクで長距離を走るだけでも楽しいのでそれで。でも、お金の余裕はない・・・。幸運なことに、高速代はマイレージポイントがあるので、無料(首都高は別)。休日割引のおかげで助かります。後はホテル代とガソリン代だけ。ホテルは、キャンペーンでガソリンの割引券(といっても、3~5円引き)のあるものにして少しでも節約です。

初日は、仙台に着けばいい・・・ということで、早朝からの渋滞を避けて遅めに出発。朝のニュースで東北道の上りは栃木県で40キロぐらい渋滞とのこと。まず、東名。下りは横浜青葉から渋滞でしたが、上りはラクラク。次は首都高。用賀から渋滞。でも動いてはいます。板橋JCを過ぎ、東北道か常磐道か迷ったのですが、東北道の渋滞も少し落ち着いている様子なので、東北道へ。

まず、佐野藤岡のあたり渋滞・・・。アウトレットがあるから・・・。宇都宮付近で渋滞・・・。こちらは日光方面への車・・・。そしてその先は2車線になるので。次は矢板付近。いつもここ渋滞なのですね、と思ったら何と事故渋滞。バイクと車の事故。そして同じ場所の下り線でも事故。ほとんど同じ場所です。何か因縁があるのでしょうか。

東北道で、渋滞にあってもバイクですり抜けは恐いです。東名は結構バイクがすり抜けをするので、車のドライバーも慣れている様子。東北道は基本的にバイクは少ないので少し雰囲気が違います。またウインカーも出さずに突然車線変更をしてくる人も多く、私はヒヤヒヤ。結構疲れるのです。

那須インターでは、インター出口から車があふれています。キャンプの人が多いのでしょうか。福島県に入り、郡山までは順調。その後また渋滞の名所福島トンネル付近で流れが悪くなります。ここは、東名の大和トンネルと同様に上下線とも緩い上り坂になっているせいですねきっと。福島飯坂インターからは、以前私が仕事で利用していた道なので、懐かしい道。山形道との分岐の村田ジャンクションからはカーブがきつくなります。

仙台付近の東北道を通った方ならわかると思いますが、福島県内の東北道はわりと平野の部分を通ります。その後、福島市からら白石市にかけて山越え。そしてまたしばらく平野ですが、仙台市内に入るととたんに山の中を東北道がとおります。勾配やカーブも多いです。仙台宮城から泉インターまでの間は特に。とても仙台市内とは思えない風景。仙台は、東北道より海側に市街地、その反対側にもまた団地がたくさんあります。まさにこの山地が街の近くにあるといったところ。なので、このあたりの天気は仙台市内のものではなく、「宮城県西部(山沿い)」で、市内に雪が降っていなくても、高速が降雪で止まることはよくあります。泉を過ぎると、岩手県境まで、仙台平野が続く・・・といった感じ。

Pa1_2 泉インターの手前の泉PAです。ここは、ETCだけのスマート出入口ということで、最近よく見かけるものです。私が仙台に居る時にできました。私の社宅からしわりと近かったので、ここはよく利用していました。出張の時は、荷物を会社まで持って行きたくなかったので、一旦社宅に寄って荷物を積み込んだり降ろしたり。当時は、会社の車でしたが、今は経費節減で現地でレンタカーを借りる方式になりましたので、そんなこともできなくなりましたね。

Pa2_2 ここから出入りしますが、付近は田園地帯で夜は本当の真っ暗になります。ただし、ここから大規模団地へは近いため、利用者も多くなっている様子です。

この日は、仙台泊。少し時間があったので、以前の社宅やバイクを置いていたボックス、いつもバイク用品を見に行っていたバイク用品店などをを回ってみました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月20日 (日)

仙台出張

久々の仙台出張でした。今回は前泊。急に決まったのと、連休のためか市内のホテルは満杯。ネットで探して、ギリギリのキャンセルで出た前日に予約。ホテルについてみると料金は何と定価。いつもはもっと安いみたい。会社の経費内でしたが・・・。

久々の仙台の街でしたが、少し変わったようで、あまり変わっていないようで。2年のうちに・・・。不景気の影響でそれほど変わっていなかったかも。仙台を出る時に、計画中や建設開始のビルは完成しているものもあれば建築中のものも。今のビルは、ガラス張りのものが流行りなのでしょうか。通りの中に、ポツポツと建つ高層ビルが少し違和感があります。

仙台市内は特にイベントがあるわけではないのですが、街は観光客でいっぱい。牛タンの店なんか行列。

実は、翌日から仙台にツーリングの予定がありました。日程を変更して、バイクでそのまま行っても良かったのですが、そういう時に限って事故を起こす・・・なんてことがあるので、きちんと新幹線で来て、帰りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月16日 (水)

珍しい表示

この日、半蔵門線の清澄白河~住吉間で発煙があり、田園都市線側は水天宮前駅までの折り返し運転になりました。用事があって有休だったので、珍しい表示に遭遇。

200909161251000 半蔵門線が水天宮前までの時は、よく見たものですが久々にこういう表示が。電光掲示なので、なんとでも作れるのですね。アナウンスも水天宮前・・・・懐かしいものでした。

200909161258000 これは、東武の電車の表示。東武線との直通運転は水天宮前~押上が開通した後。基本的に、東武の電車には水天宮前というものは設定がないはすが・・・、あったのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 6日 (日)

裾野から富士市へ

最近バイクでお出掛け・・・という日がなかなかなく、やっと時間がとれました。

今回のルートは、東名裾野→国道469号線→富士市内→国道1号→東名沼津。

国道469号線は、富士サファリパークや富士こどもの国のあるところです。先日水泳サークルの合宿で、初日の富士市から宿泊地の裾野市へ移動した時に、高速を通らなくて空いている道路・・・ということでここをバスで移動しました。車窓から見える風景があまりにきれいで、道幅もあり、適度にワインディングもある道なので是非バイクで通っみたいとまたやってきました。

道自体は、とても快適でした。流れもいいし。ただ、風景はバイクだと正面だけ。バスの時は全体が見えたので景色を楽しむのは、やはりバスが一番かな。

富士サファリパークや富士こどもの国は、今度坊主を連れて来たいな~と。バイクでいろいろ走るとそういうところがたくさん。でも結局は1人でバイクで来てしまうのですね。今はまだ小さいのですが、そろそろいろいろと連れて行かないと。上の娘はそういうことに関心がなくなって来たので、いいのか悪いのか。

2009_09060002 十里木ということろのドライブインです。「ドライブイン」という言葉やこういう店構も今は懐かしくなってきましたね。最近は「道の駅」が多くなり、高速道路のSAと変わらなくなってきた感じです。この十里木地区は、高級別荘地区とゴルフ場があり、かなりハイソな地域らしいです。

2009_09060003 富士市の県営プールです。国体会場のため、とても立派な施設。先日、ここで水泳サークルの合宿もありました。水着持って来なかったので、記念撮影だけ。ここの駐車場、とても広いので、免許取り立ての奥様の練習にご主人が付き合っている様子もみられました、469号から、ここまで来るのは、かなりの下り坂。そういえば合宿の時のバスは凄い登りだった記憶が。「長い下り坂」「エンジンブレーキ併用」の看板の他に「まだまだ下り坂。気を抜くな」の文字に納得。私はどうも下りの右コーナーは苦手(左が得意なわけではないが)なのです。

2009_09060006 今日の東名の渋滞はひどかった・・・。いつも大井松田あたりから厚木が事故渋滞になるのですが、今日は御殿場の先で事故。それもトンネル内なのでまずここで渋滞。その先秦野中井でも事故。事故区間を過ぎると秦野中井から厚木までは一瞬空くのですが、厚木からは交通集中と大和トンネルの自然渋滞でまた。この区間はもう慢性的。画面は足柄SAでの案内板。横浜青葉までついに2時間以上が表示。だいたいここのパーキングから本線にでられないもの。バイクはすり抜けにできるから・・・。ただ、最近やっていなかったので少し恐くて・・・。まあ何とかいつもの夕飯までに無事帰宅しました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 5日 (土)

意見交換会

東急電鉄の社外モニター制度。その意見交換会があり、元住吉の電鉄事務所へ行ってきました。基本的にモニターについては守秘義務があるので、内容などは省略しますが参加して、東急電鉄を利用している人の中でも、利用する線によってまったく異なった認識であることがわかり、新たな発見でした。改めて考えてみるとこれは当然のことですが。

社外モニター制度を取り入れている会社は多く、自社の商品開発の参考にしたり、より質の高い顧客サービスを模索ためには必要なことだとは思います。特に、電鉄のように公共性の高いものは、地域住民の意見を聞くことは重要なことだと思います。今回様々な意見を聞く上で、感じたことはいくら公共性が高いといっても東急電鉄は民間企業であり、特に今のご時世では、投資にも限度があることです。改善の必要性があっても収支のことを考えないと会社は成り立ちません。様々な改修のために運賃を値上げしてもいいか・・・ということになれば、必ずしもそうではなく、少し不便でも運賃が安い方がいいという人も多いでしょう。それともうひとつ考えさせられたのは、私も以前田園都市線の遅延についてさんざんここに書きましたが、結局不満や文句のはけ口メインになってしまうことです。

そこが、形のある商品モニターと異なるところ。新製品モニターだと、それに対しての評価、そしてもう少しここを改善すれば、買うと思う・・・などという建設的な意見が出やすいのに対して、電鉄関係はそういう建設的な意見よりも個人の要望がメインに。

最近、総選挙があり生活の不満を候補者にぶつけるシーンが多かったせいかどうも感覚がマヒ。国や地方公共団体の行うもの・・・身近なものとして道路・公共施設・福祉に関しては、当然税金を払っているので、こちらも「何とかしろよ~」の意見が通るかも。ただ、民間企業にそれと同じ感覚でいうのは、少し違うかな・・・。モニターとして意見を聞くだけでも凄いことかな・・・と最近は思っています。

東急線は、本線系の東横線と田園都市線。その他に短距離の支線的なものとその様相は様々。混雑が激しく、10両編成で埼玉の久喜まで走る田園都市線と、3両編成ですべて各駅停車の地域型の池上線をまったく同じ土俵で語ることは無理。電車も様々な会社の車両が入ってくる田園都市線は東急の車両に対して意見を言って改善してもらっても、他社車両がくれば対応されていない。

また、利用者の意識も異なる・・・。東横線は、渋谷と横浜の都市間路線。競合他社もあり、沿線住民感じ方が利用者すべての感覚ではないのです。田園都市線は、東急によって開発された街に住むニュータウン路線。意外に感じるかもしれませんが、駅ごとの住民意識は高く、他駅のある街との対抗意識も強いのです。東横線も田園都市線も都内と川崎市・横浜市の区域ではまた考えも異なって。

多摩川線や池上線・大井町線は狭い区域を走り、どちらかというと下町情緒のある沿線。こういうところでは、下校時に付近の高校から集団で乗車してくる高校生のマナーが問題のよう。田園都市線ではそういう問題はほとんどありません。

そんな各線の様子が利用者から聞くことができたのも、興味深い内容でした。

Nec_0007 元住吉の東急の事務所です。普段は社外の人は入れません。ここには東横線の車庫がある他に、運転教習所もある様子。田園都市線と大井町線の車庫は長津田、目黒線は奥沢、池上線は雪が谷大塚、多摩川線はどこなのでしょうね。総合指令室は、以前は奥沢にあったと聞きましたが、今は保安上も関係で公開していないようです。

200909051644000 200909051644001

元住吉の駅と、かつては開かずの踏切だった駅前です。目黒線の日吉延伸で元住吉駅周辺はすべて高架化されました。この踏切は、電車が車庫に入る時に上のホームを走る電車が降りてくる時にだけ(当然車庫からホームに上がる時も)閉まるようです。東横線の田園調布から横浜まではだんだんきれいになっていきます。今後、代官山から渋谷までが、副都心線への直通開業に合わせて大きく変わるようです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 4日 (金)

葬儀参列に思うこと

先日、友人のお子様が亡くなられ都内の斎場で行われたお通夜に参列してきました。個人的なことなので詳細は省略しますが、20歳という若さでまだまだこれからというのに。このされたご家族の悲しみは測り知れないものでした。「先立つ不孝」というけれど、これほど親にとって辛いこともないと。

若い方なので、参列する友人達もたくさん。黒い服なんて着たこともないような若者達。見ている方もまた辛い。斎場でのマナーなんてまったく知らなくて(私も知りません)。でも見よう見まねで必死に。そして故人への最後のお別れも感情丸出し。

私は、大学生の時友人を亡くしました。その友人は自分が死ぬ前に母親を亡くし、私はお通夜に参列しました。その後しばらくして本人が。もともと心臓がよくないとのことでしたが、一人旅での不審死。自殺か病死かわからないまま。私も他の友人もそれ以上は聞きませんでした。当時の担当教授から「同世代の君たちがたくさんで押し掛けると、残されたお父様が、ご自分の子どもの姿とだぶってお辛いだろうから、何人かで代表して行くように」との話がありました。私もそういうものかと思い、みんなにその旨を伝えました。しかし、みんなは納得せず、結局大勢になったしまったけれどみんなで告別式に参列しました。若さ故の非常識だったかもしれません。

ただ、今回もあの時もたくさんの人が参列するのは、それだけ故人が慕われていた証。特に友人というのは、みんな純粋に故人の死を悲しんで、最後のお別れに来たのです。遺族の方にとっては、確かに迷惑なこともあるかもしれません。しかし、その悲しみはどんな状況になっても簡単に癒えるものではないでしょう。ならば、みんなで参列し、故人を惜しみご遺族の悲しみを少しでも分かち合えればと。

先日のお通夜で一緒に参列した故人の友人である若者が、私に時間のことを聞いて来たので、私も少し故人のことを聞いてみました。「いい奴だった・・・・」「信じられない・・・・」など若者らしい会話でしたが、その言葉の端々に故人に対しての別れの想いと、優しさに満ち溢れていました。「今の若い者は・・・」と言われる時代に、こういう若者たちがいる限り、日本の将来も大丈夫。

話を私の友人のことに戻しますが、告別式の後納骨式にも私達は参列しました。就職が決まり、東京を離れる時に一度私一人でお墓へお参りに行きました。それから、20数年。一度もその友人の墓前を訪ねたことはありません。そろそろ行かないと・・・。月末の休みにでも久々に逢いに行こうと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »