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2009年9月27日 (日)

友人の墓前と鑓水

今日は、大学時代に亡くなった友人の墓前を訪ねてきました。命日でも何回忌とうわけでもありませんが、先日他の友人のお子さんが亡くなられ、その方も大変若くして亡くなり、学校の友人の方も多数参列していたのを見て、ふと思い出しました。

彼とは、大学時代のサークルの友人です。2年間くらいの付き合いです。特に親しいというわけでもなかったのですが、同学年だったので次期の役員になる仲間としていろいろとサークルの方針などを話し合っていました。彼のお母様が亡くなられ、彼が家の事をすべてやらないといけないということになり、彼は役員候補から外れ、そのポジションが私が横滑りした経緯があります。しばらくして、彼本人の死。それも不可解な死因でしたので、当時の私にはショックでした。

彼との2年間はそれほど親交はなかったのですが、これからもっともとっといろいろと意見を交わしたり、議論したり、酒を飲んだり・・・ということができたかもしれない友人でした。

あれから20年以上が過ぎました。彼は埼玉県の東武越生線の沿線にある墓地に眠っています。墓園のある駅だけは覚えていましたし、かなり大きな墓園なのでそこまではたどり着けましたが、場所がわかりません。彼が亡くなって、告別式に参列した後、お父様から「納骨の時に、みんなで送って欲しい」というので、この墓園に行きました。その時はどうやって行ったのか、そしてその後もう一度訪ねたことがありますが、その時はどうしたのか、20年の歳月はあまりに長過ぎました。

調布インターから、中央高速に乗り、八王子から圏央道へ。鶴ヶ島で高速を下り後は下道。墓園までは問題なく着きました。管理事務所で彼の眠る墓の場所を尋ねますが、管理費を払っている名義人の方のみの登録なので住所と名字だけを頼りに。彼のお父様の名前もよく覚えていませんので・・・。そこで、それらしき墓を教えてもらいましたが、登録されている方の名前が変わっていました。お父様も亡くなられたのですね。今登録されている方は、彼の弟さんの名前のようです。

教えてもらった場所・・・、確かに記憶があります。墓標にお母様の名前と亡くなられた年と年齢。そうです・・・、ここです。ただし、彼や彼のお父様の墓標はありませんでした。納骨の時に、お父様が「この墓標に名前を書いてしまうと、もう息子は帰って来ない。死因もまだわからないので」と涙ながらに語っていたことも思い出しました。ずっとお父様はその思いを抱いていたのですね。そして、お父様はまだ墓標がないのは最近亡くなられたのでしょうか。

彼の墓前で・・・、何も話すことはないのです。彼との時間は20歳ぐらいの時。もう40歳後半になった私には何を話したらよいか・・・。そんな感じです。ただずっと備えた線香が消えるまで墓前に佇んでいるだけでした。

友人の墓前を訪れる機会なんて、一般的にあまりないのでしょうね。ただ、ずっと忘れていましたが、青春の一時をともに過ごした彼のこと、そして彼が生きられなかった年月を無事に過ごして来たことに対しての感謝の気持ちを忘れずに、折りに触れてまた彼の墓前を訪ねてみようと思います。

来た道をまた戻りますが、帰りは八王子で下りて、多摩ニュータウン経由で帰途に。まだ時間があったので、一度訪れてみたいと思っていた、鑓水の「絹の道」へ。鑓水と言えば、今は、多摩美大の広大なキャンバスがありますが、ここはかつて日本のシルクロードと言われたところです。信州などで生産された生糸を横浜から海外へ輸出するために運ばれた道です。鑓水のルートは「浜街道」と言われていますが、今の国道16号線の旧道にあたるもの。また、現在の町田街道も同様に絹の道と言われていて、実際にはこちらがメインだったようです。原町田・長津田・十日市場などの街は、その街道を支えました。

鑓水は、八王子の南部の御殿山の裏手。ここは、町田のような大きな街にはなりませんでしたが、メインルートから隠れた場所ということでも独自の文化が生まれ、豪商も出現したらしいです。キリスト教の布教のための洋館があったり・・・といった古い伝承文化と新しい文化が交差したところでもあるようです。

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ニュータウンの大きな道路から、見落としそうになる小さな角を曲がったところに、「絹の道資料館」があります。八王子市が管理して、入場無料。記帳が必要です。「絹の道」とされているところは、未舗装で文化庁の「歴史の道百選」・八王子市の指定史跡になっています。この資料館を中心に散策コースになっています。

3 東京都内とは思えない鑓水の風景です。都内でも奥多摩方面ならばまだしも、隣は多摩ニュータウンです。私の住む横浜市北部も絹の道と絡むものはたくさんあります。また、このあたりは、古くから鎌倉へ通じる道があり、ミステリーも多いところ。なぜか、八王子・町田などの南多摩地区や川崎・横浜の北部の歴史については、あまり取り上げられていない様子。ただ、江戸(東京)の近くなので、人の行き来はあったため、それぞれの歴史が。ぜひその足跡も訪ねてみたいです。

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