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2010年8月15日 (日)

アッツ島の悲劇

今日は、65回目の終戦の日。終戦記念日と思っていましたが、記念ではないのですね。

65年という節目の年なのか、NHKでは戦争に関する特番がたくさん。戦争を経験した方も高齢となり、あの悲惨な時代を語り継ぐにはそろそろ限度ということで、「証言」という形のものが多く放送されています。

私の両親も80歳を超えていますが、かろうじて戦禍は免れた世代。戦争中の勤労動員の話は聞きますが、私も両親から戦争中の話をじっくり聞いたことはありませんでした。

先日NHKで、「玉砕」というテーマでアッツ島での出来事を描いた番組が・・・。アッツ島は、アラスカのアリューシャン列島の西側。日本が占領した島です。ここで、最初の玉砕があり、これ以降、各地で多くの人が「玉砕」のもとに命を落として行ったとのことです。

私の伯父(母方)が戦争中、このアッツ島の戦線に加わりました。終戦後しばらくアメリカに捕われていました。祖母や母達は伯父の戦死したことを信じずひたすら待ち続けて、その後の帰還でしたので、驚きと喜びは計り知れなかったと思います。この伯父も90歳を超え昨年亡くなりました。

伯父からはアッツ島のことは直接聞いてはいませんが、母の話によると船が3艘航行中に、アメリカの攻撃を受け前後の船が沈没し、伯父の乗っていた船だけが助かった・・・ということでした。みんなこの話を信じていました。

しかし、NHKの放送によると、アッツ島を占領した日本軍は反撃にでるアメリカ軍に対抗できず、戦局は悪化・・・。時の大本営は援軍どころか、勝ち目がない・・・と判断すると補給を絶ち、部隊が全滅することを見て見ぬふりをしたとのことです。つまり「見捨てられた・・・」のです。最後は、特攻隊のように、人間爆弾になって戦車に突っ込んだ・・・との証言も。今生きている方の証言を交えた番組・・・。ある方が「爆弾を背負って突っ込んでいっても、鉄砲玉の方が早い・・・・」とつぶやき。実際に戦車に体当たりできたので少数で、ほとんどが、その前に銃撃されたとのこと。

「生きて、虜囚の辱めを受けることなかれ・・・」ということを教育されていたので、最後はもう地獄だったとの証言。途中で負傷した人や死に切れなかった人など26名がアメリカの捕虜となった記録を頼り、NHKがインタビューを。

みんな思い口を今やっと開いた様子。「テレビカメラの前でこんなことを話すとは思わなかった・・・」と。そして、その時の様子は家族にも話していなかった・・・という話も。

伯父は亡くなってしまったので、真実はわかりませんが、伯父もこの26名の1人ではなかったのは?「生きて、虜囚の辱めを受けることなかれ・・・」という言葉から、捕虜になったことに関して自分自身で抵抗があったのでは?あまりに悲惨に状況だったので、前後の船が撃沈されて自分の船だけが助かった・・・と言っていたのでは?と思います。

今となっては、伯父の話は聞けません。祖母も伯父の妻である伯母もなくなってしまっているので・・・。妹である母は、船の話しかしらないようです。

生きているうちに聞いておけばよかったかな?とは思いますが、テレビ番組で証言した方にように、ずっと隠してきたことだったのでしょうから・・・。

母の話では、伯父は兵隊の時の集まりには良く行っていた・・・とのこと。あの悲惨な状況から26名だけが生き残ったとすれば、その集まりでしか真実の話はできなかったのでしょう。

大本営のアッツ島を見捨てた行為については、当時の将校が戦後に死の直前に書き残したことがもとになっていました。

真実はどうかわかりません。船の話もあったのかもしれません。それももうわからぬうちに戦後65年。日本は奇跡的というか、戦争はあれ以来ない国家になりました。私が戦地に行くことはない思いますが、私達の子供たちの世代に絶対に戦争に送り出す・・・という行為は避けなければ・・・と終戦の日に改めて感じることでした。

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コメント

伯父様は、アッツ島へ行かれたのでしたか!

アリューシャン列島の中の、アッツ島とキスカ島とを占領したのは、確かミッドウェー作戦の陽動として行なわれた北方作戦の一環だったと思いますが、戦略的にはどうも全く無駄ではありましたね。
米軍の反攻急となり、大本営も「ここもそろそろ・・」と思っていたところ、アラスカ寄りのキスカ島を飛び越えて、先にアッツ島に上陸してきたために、かなり狼狽しただろうと思います。
これはもうヤバい、ということで、水雷戦隊によってキスカ島の守備隊は、奇跡的に撤退に成功するのですが、どちらの島に行ったかというのが生死を分ける境目だったということですね。

投稿: チェス | 2010年8月17日 (火) 16時33分

チェスさま

キスカ島の攻防戦はしりませんでしたので、伯父の話の3艘の船の話は、まんざらウソではないのかもしれません。今となっては、真相は不明です。
アッツ島は、厳寒の地ですので、部隊は東北地方(特に岩手県)出身者が多かったとのことです。南方戦線では、暑さだけで耐えられなかったのかも・・・と近頃の日本の暑さから感じます。

投稿: AA | 2010年8月17日 (火) 23時11分

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