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2011年3月28日 (月)

東京電力は、もっと節電についての案内を・・・。

本日から東京電力の計画停電グループが細分化され、停電の区域がわかりやすくなった・・・とのことですが、もう少し工夫が欲しいと考えています。

私の住むところは、第5グループ。神奈川県なので5-Dとなります。今日は夜からの停電予定。昨日東京電力に、新しいグループでの停電計画について聞いてみました。第5グループ全てを停電にするのか、とりあえずA~Cグループを先にするのか・・・。夜の停電は予めいろいろと準備が必要なので。

しかし、東電の返事は、「停電開始時刻前の2時間前までに通知」という線を譲りません。というのも、その時の状態にならないとわからないのも事実なのです。ある程度見込を立てて実施するかどうか決めるのでしょうが、天候の問題もあり、予測が難しいことも。

東電では、「状況に応じて、第5グループ全体の停電もある・・・」とのことでした。

ということは、予定が出たら「停電すること」を前提に考え、もし状況が変わって停電が中止になったら「ラッキー」と思うしかないということです。

東京電力は、今福島原発の対応で大変かもしれませんが、計画停電についてももう少しきちんと説明をすべきでは、感じています。計画停電のエリアの変更についても、鉄道施設や重量な施設は除外していることもきちんと説明すべき内容です。あまり詳細にいうと、保安上の問題もあるでしょうから所在地までいわなくてもいいのですが、区分けをした理由はもっと早くいうべきだったでしょう。今朝のニュースからは今回の新しい区分けで停電区域外になった地区の理由が伝えられました。

そして、何より節電の結果次第では、停電が回避できる可能性があることもわかりました。どんな状況でも停電はできるだけ回避したいものです。

家庭で、少しぐらい節電しただけでは停電を回避する力にはならないでしょうが、みんなでやれば効果はあるのです。それは、今の計画停電の実施区域が、比較的住宅地メインのところに限られていることで実証されています。

ならば、家庭でできる節電の方法をもっと東電は説明すべきでは。テレビコマーシャルがACの同じものの繰り返しであるならば、せめて東電管内だけでも、「照明をこれだけ消すと何パーセント節電になる」とか「給湯温度を何度下げると、これだけ使用量が減る・・・、暖房を1度下げるとこれぐらいの効果・・・などを紹介すればと。毎日ACのCMを覚えてしまうくらい見ているけど、これぐらいの内容を毎日見ていたら、自然に節電に気持ちが行くのでは・・・。東電が広告料を出せないなら、民放各局も支援の一環として協力するくらいの姿勢もあっても・・・と。

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2011年3月26日 (土)

「計画停電」の不可解

今、東京電力管内で行われている「計画停電」。震災で、電力供給不足のため、大規模停電を防ぐため・・・という理由は理解できます。

「被災地」の人々のことを思うと止むを得ない・・・ということで済まされていますが、大きな問題を「被災地」でごまかしている感じにも見えます。

様々のところで噴出した地域の不公平・・・。私の済むところでは、もう4~5回あったと思いますが、東京23区を中心にまったく停電のないところも。個人商店や小さな工場では減収となり、今後の先行きも立たないというところも。

震災という事情だけに、停電をすることは仕方ないにしても、まったく停電のないところと数回実施されるところの差があるのはどうも納得できない・・・という方も多いのでは。

まず、東京電力から、停電をしない地域があることの説明が「送電グループ」の問題・・・としか説明がなかったことが不可解です。先日、テレビの討論番組で東電の方が出演され、第1次の送電グループ単位で電気を止めるため、その中に鉄道の変電施設があると除外される・・・との話でした。もっと細かな事業所単位の送電グループの設定はできないものか・・・という問いかけに関しては、今の段階では難しいらしいです。技術的にはできることなのでしょうが、福島原発の事故を終息させるためにそちらが優先・・・ということも理解はできます。

3/13に計画停電の発表があった際、鉄道会社はそれに合わせて変電所も停電地域になることで、大幅な運転計画の変更をしました。そして起きた14日の大混乱。終日運転を取りやめの区間も。これはまずい・・・ということで、「鉄道は動かします」という官房長官。翌日からですね、鉄道関係の変電所のある地域が除外されたのは。

私の住む横浜市青葉区は、田奈駅付近に東急田園都市線の変電所があります。そのおかけで、西側半分は停電区域から外れました。私の住む地域は東半分なので停電区域はそのまま。

確かにそのおかけで、田園都市線は8割ダイヤですが、支障なく運行しています。救急病院や水道施設・銀行の事務センターのあるところも外す・・・ということでしたが、テレビ討論に出演した方の発言では、鉄道の影響が大・・・だそうです。

それにしても、最初から停電地域として外された東京23区(荒川・足立を除く)。そして横浜市の中区と西区。東京の千代田・中央・港・新宿あたりは官公庁や様々な施設があるので仕方ないでしょうが、その他の区はなぜ・・・と思います。ひつとひとつ理由を上げるといろいろあるようです。「あの区には誰が住んでいる・・・」なんてことも理由に。警備が必要な政治家や企業トップなどが住んでいるところは自然に外れるようです。世田谷区なんてまさにその例。大物の住所が分散されているので、第1次送電グループが結局全域にあたる・・・。鉄道施設も、東急では世田谷線が区内で、小田急も喜多見で電気関係の施設がある・・・。三菱東京UFJ銀行の事務センターは池尻にある。国道246号線の信号が停止すると、地域の警察官だけては手信号の手配ができない・・・様々な理由が。

そうなると、結局郊外を中心に停電を行うしかないのですね。そこのところを東京電力は包み隠さずはっきりと言えばいいのに・・・と思います。25日に不公平解消として、25のグループに再編成をしましたが、全体の停電しない地域に変更はないので、その説明もおかしいです。

私は停電についてはあきらめていますが、食料品や他の物資の工場は、停電区域の方が多いのでは・・・と感じています。そのため、余計に物資不足になる恐れもあり、また「計画停電」なので、零細企業の収入源の補償もないでしょう。

与謝野大臣が、「電気料の値上げ」発言をしました。節電・・・を呼び掛けても、個人の意識の問題なので、顕著な効果は現れにくいでしょう。ガソリンが高騰した際、みんなクルマの使用を控えたことがあります。確かに電気代が高くなれば、みんな節電を意識すると思います。まんざら悪いことではないと思いますが、統一地方選挙の時期になるので、すぐにその発言も修正・・・。なんとも情けない政治家・・・。

東京電力は、原発事故の補償と震災による他の発電所の破損個所修復による経費増と計画停電による収入減で経営の悪化が避けられないとのこと。電気会社は、国の政策で地域ごとに割り当てられ、利用者は業者を選択できないので、東電が危なくなれば、政府が援助・・・ということに。しかしこれはみんな税金。東電管内以外の人も負担することに・・・。今、福島県の方は自分たちが使う東北電力の発電所の事故ではなく、関東地方で使う東京電力の発電所の事故で大きな被害を受けています。これもやり切れないでしょうね。

それと・・・、政府は東電をかなり批判しています。確かに計画停電の説明不足もあり、原発の管理や情報公開も東電は不手際が多いかも。ただ、原子力発電は民主党政権ではなかったにしても、国の政策として推し進められたことで、CO2削減の切り札だったはず。また、政府もクリーンなエネルギーとして、「オール電化」の住居を推進して、計画停電で一番不便を被る世帯を増やしていきました。そんなことを「自民党政権の時の話・・・」みたいにまったく知らなかったように対応する民主党政権にもあきれてしまいます。

結局、この電気の問題は奥深い問題としてしばらく続くでしょう。

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2011年3月23日 (水)

少々不便な生活でも・・・。

東北関東大震災の影響で、首都圏では地震の直接的な被害は少ないにしても(千葉県の一部や江東区・江戸川区の一部などは津波の被害や地盤の液状化現象がみられていますが)、計画停電や食料品の不足などの問題が出ています。特に、電力不足は深刻な問題で、今まですべて電気に頼っていた生活の「つけ」が回ってきた様子。私の住むところは、しっかり計画停電の実施区域です。この区分けにはいろいろと異論もある様子ですが、大きな病院や公共施設のあるところは除外されている現状は理解できます。

我が家は集合住宅なので、停電になるとエレベーターは使用できません。6階まで階段。エントランスのオートロックも使用できず、開放されたまま。水は給水施設が電気で動いているので、停電中は水もでません。ガスは使用可能です。

私の故郷の岩手県に比べたら暖かいとはいえ、まだ寒い季節。夜間の停電はつらいです。

近所のスーパーも24時間営業でしたが、節電のため早めに閉店。ほとんど手に入らないのは牛乳・納豆・卵・食パン。しかし、それ以外は好みをいわなければ少しずつ出回ってきました。

スーパーの他に百貨店や書店も早めに閉店しています。

欲しいものは何でも、いつでも手に入る時代に慣れた私達には今は不便さが感じられます。ただ、今の便利さで常々感じていたことですが、「我慢する気持ち」を忘れてしまったようです。「我慢」というのも良し悪しですが、急に食べたくなったり欲しくなったら、いつでも買える・・・ということが本当にいいのだろうかと思うことも。「店が閉まっているから、明日・・・」という考えが働かない・・・。私自身もそういう生活にどっぷりつかってしまっているのですが、子供達は「いつでも何でも手に入る」時代しか知らないのです。親も特に教育してこなかったし。

先日帰省した時に、両親が「戦時中や終戦直後に比べれば・・・」と80歳を超えた老人が言っているのです。今の現状は戦時下のように国全体にもののない時代ではありません。むしろ、私達が子供の頃に似ています。特に私は地方でしたので、大きなスーパーなどはありませんでした。近所の八百屋とか魚屋で母親が買い物をしていた時代。パンや牛乳は給食で出るぐらいで、普段の食事ででることはありませんでした。今、パンがなくとも米は流通しているのですから、ごはんを食べればいいのです。牛乳がなくとも他の代用物はあります。また当時は食べられなかったお菓子類が逆に今は出回っています。

クルマで出かける・・・なんてこともなかったし。私よりももう少し上の世代には「電休日」というものもあったらしいです。日本がまだ先進国になる手前の時期を知っている最後の世代が私達なのかもしれません。

ぜいたくに慣れた子供達のことが心配でしたが、逆に被災地のニュースを見て、「買いだめはやめよう

とか「電気を大切に使おう」とか言い出しました。案外たくましいのです。不便な生活を知っている私達の方が、いろいろと不満を言っているのかも・・・。

東急電鉄は、節電ダイヤで、田園都市線でも8割程度の運行です。みんな各駅停車。朝は2分間隔だったのが4分間隔です。それでも、時差出勤・学校の休みなどでいつもより空いていて、運行もスムーズ。慢性的な遅れはありません。時間が読めないので、私は少し早く家を出ていますが、時間に余裕ができました。

しばらくは、電力不足は続きますが、想定外の災害によるもの。みんなで我慢して、被災地の復興を助けないといけません。みんなが小さいことでも不便な生活に不平をいわず我慢していくことで、大きな力になり、今までとは違った世界が見えてくるのでは・・・とも思っています。

というわけで、私はちょっとバイクでお出かけはできなくなりました。たまに動かさないと・・・と思っているので、ちょっとエンジンをかけるぐらいかな~。少しだけぜいたくをいうと、納豆が大好きなので、食べたい~と思うことです。

今日、23日は第5グループの計画停電。夜間の停電なので、気をつけて帰宅します。

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2011年3月21日 (月)

被災地への帰郷

先週の連休を利用して、故郷の岩手へ帰郷しました。震災のあと、東北新幹線や東北道が不通となり、首都圏から東北地方への一般の交通路が絶たれていましたが、空路が回復し、新幹線との競合のため廃止されていた、羽田-花巻便が臨時に運行されました。

飛行機の燃料と、被災地の燃料不足を考えると複雑な気持ちでしたが、私の実家と高齢の両親が精神的に追い詰められている様子だったので・・・。

私の実家は、盛岡市で岩手県でも内陸なので、津波の被害はありませんでした。ただ、揺れはひどく、家屋は損傷を受けました。また、まる2日間停電となり、まだ寒さの厳しい盛岡で、高齢者にとってはかなりの負担だったようです。

東北地方で、沿岸部の津波の被害は、連日報道されているので、まさにそのとおりの状況です。都市部はあまり放映されませんがそれなりに被害を受けています。盛岡市はそれほどではないのですが、仙台市の中心部では、ガス・水道のライフラインが完全に止まりました。電気も盛岡よりも長い期間止まり・・・。仙台市でも沿岸部は津波の被害。あまりに、沿岸部の被害がひどいので、印象が薄くなっていますが、ライフラインの途切れた都市部の生活も辛いものです。

沿岸部のように家を失い、肉親を失い、避難所生活をしている方に比べれば・・・・。ということを考えながらも、高齢者にやはり・・・。

私が帰郷した頃には停電も復旧し、いつもの生活がもどりつつあります。ただし、ものがないこと・・・。首都圏のコンビニは、ものがなくとも計画停電でなければ営業しているところが多いですが、盛岡のコンビニは、仙台を拠点にして物資の流通システムができているため、物資がなく休業しているところが半分ぐらい。

スーパーにもものはありません。停電が回復した初日は、1人10点までの買い物ができる状態。その後、牛乳とか納豆・米などのものだけが点数制限に緩和されました。

そしてガソリン・灯油がありません。実家では、地震の前に灯油を満杯にしていたそうで、何とか・・・。ガスはプロパンなので大丈夫。断水はありませんでした。電気だけですが、今の暖房機器はすべて電気で動くので氷点下5度ぐらいでも暖房を使うことができず、真っ暗なまま過ごしていたそうです。

実家はそれでも恵まれた方ですが、こういう震災で大きな被災地との「狭間」の人が置いて行かれます。盛岡市がそんな感じでした。大きなスーパーにはものが入りますが、そこまて買い物にいけない高齢者達は、クルマのガソリンもなく、バスも運休状態。食事の宅配サービスも休止。ホームヘルパーも燃料切れで訪問できず。ショートスティの施設も送迎バスの燃料がなく休館。救援物資・緊急用のガソリンは被災地へ回される。

現実的に、家のある人は後回しになるのは当然ですが、こういう状態は盛岡のような都市部だけでなく、沿岸地区で、家が残った地区の方にも当てはまります。

誰が悪いというわけではないのでしょうが、何ともやり切れませんでした。

私のいとこにあたる家族が、宮古市にいます。その家族5名のうち、いとことその子どもが今回津波で亡くなりました。残されたいとこの夫と2人の子供が残されました。津波が来た時に、家にいて間に合わなかったようです。叔父や叔母の話では、海のそばに住みたいということで、家を新築したばかりだった様子。遺体も確認されましたが、こちらも燃料不足で火葬にもされていないようです。私がこちらに戻る時に、宮古までの路線バスが復旧したので、叔父叔母は現地に向かい、私は行けませんでした。

いとことは小さい頃の思い出しかなく、ここ数十年会っていませんが、こういう亡くなり方をすると非常に悲しみが募ります。残された家族を思うと余計に。

岩手県のうち、宮古・山田・大槌・釜石・大船渡・陸前高田の街は壊滅的な被害を受けました。もともと岩手県は、「沿線(新幹線)地区」は行政もいろいろと力を入れていたところですが、沿岸地区は人口も少ないせいか、発展が遅れていた地域です。岩手県も、今後この沿岸地区の復興のためにどういう政策をとっていくか・・・。県知事・県会選挙も間近にありますが、そういうところがより大きな課題となっていくと思います。

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盛岡市内のイオン系のスーパーです。物資不足に加え、不要な買占めによるものでしょうか。一部の人による買い占め→物不足→不安→さらに買占め・・・という悪循環。どこかで断ち切らないと・・・。

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3月5日にデビューした東北新幹線「はやぶさ」の看板。盛岡駅にむなしく立っています。たった1週間の運行でした。

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東急ハンズの移動マーケットが盛岡駅の駅ビルに期間オープンしていましたが、開店休業の様子。

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東北新幹線も東京方面は運休です。秋田・青森方面は開通したようですが、東京方面の復旧は相当かかるようです。

高速道路を利用したバスが運行をし始めたので、首都圏からはそれが唯一の公共交通となるのでしょうか・・・。

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2011年3月13日 (日)

東日本大震災-帰宅難民に

今までためていたことを少しずつ書いて行こうと思いましたが、それどころではなくなりました。私は岩手県盛岡市の出身で、両親が在住です。親戚もいます。また友人・知人も岩手県内にたくさん。仙台にも2回ほど赴任したので、被害を受けたところはほとんど行ったことがあります。仙台時代の同僚もたくさん。また、仕事で岩手県が担当だったので、宮古・釜石・大船渡・陸前高田はすべて私のエリア。気仙沼・八戸・志津川・石巻もかつて担当したエリア。お世話になった方もたくさん。心痛な思いてす。

●地震発生時の状況-私は会議の最中でした。揺れは長かったですが、キャビネットからものが落ちるような気配はなかったので、私は大丈夫だろう・・・と思っていました。ただ、地震慣れしていない人は恐怖感が募るばかり。会社の建物は古いので、壁が少しはがれおちました。また私の机はものを雑においているので崩れ落ちました。一旦外に出ましたが、強い余震が・・・。

●帰宅難民に-JRは当日の運転を取りやめ。地下鉄や東急も見合わせ。小田急が利用できれば・・と思いましたがそちらもダメ。このまま会社か避難所に泊まろうか・・・と思いましたが、家族との連絡が一切取れないので徒歩で帰宅をすることに。会社から自宅まで、明治通りと国道246号線経由で約30キロ・・・。長いです。ただひたすら南へ歩くだけです。通りはもう、花火大会のように歩道が渋滞。動きが鈍いです。ハイキング用の準備ではないので、だんだん辛くなります。渋谷駅付近はバスを待つ乗客で長い列。公衆トイレも長い列。池尻から三軒茶屋まではまだ大丈夫。歩道には視覚障害者用の凹凸がありますが、それがまた足にあたって歩きにくい。ただ、これが視覚障害者とにっては大事なのですね。

駒沢で、渋谷と二子玉川までの半分。まだ平気でしたが周辺のコンビニはトイレを利用する人の列。駒沢までは田園都市線と246が並走していますが、各駅ともシャッターが閉まっています。新町で、246と田園都市線が分かれますが、私は246方面へ。電車の開通をあきらめ、とにかく246を南下。新町消防署がトイレを解放していたので、そこを利用。みんなコンビニで長い列を作っていましたが、こちらは誰もいません。案内をうまくやればみんな助かるのに・・・。

官房長官の通達で、公共施設が休憩所・避難所として開放。世田谷区の方が、桜町小学校を解放している案内を持っていました。私は疲れたのでここで休憩。体育館に椅子やシートがあり、毛布・お茶・水・乾パンが提供されていました。パンパンになった足を休めます・・・。ここから自宅まではまだ倍以上の距離。

今までまったく通じない携帯電話やIモードが開通。田園都市線が開通していることを知り、そこから用賀駅まで。

用賀駅では、警察官が配置されていました。下り電車がやってきますが、もう超満員状態。私は何本か乗り過ごしましたが、何とか乗車し、自宅のある駅まで。

会社を出て約3時間。通信手段はまったく使えず、頼れるのは自分の足だけ。文明に慣れてしまった人間にとってはとても大変。道路も大渋滞。たぶん歩いた方が速かったのでは・・・。停電がなく、道路が明るかったのが救い。ただ、風が冷たくて・・・。

どうにかたどり着いた帰路でした。

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2011年3月 7日 (月)

地デジ対策とCS放送

我が家でもやっと地デジ対策が完了。ブログの更新をしていなかったのですが、液晶テレビを購入したのは今年の1月初めの新春セールの時です。

テレビはあまり見る時間もないので、アナログ放送終了のギリギリまで待って・・・と思いましたが、その頃になるとまた値段が高くなる・・・らしい。エコポイントがたくさんもらえた昨年末はやはり価格が高くなり、それが終了した年明けは確かに下がっていました。量産体制で製造したテレビの残りのようです。

液晶テレビはシャープがいい・・・とのことでしたが、シャープは値引きが少なく、結局東芝のレグザにしました。録画機能付はそれても高いのですが、ハードディスク別売りだと若干安めに。レコーダはまだ値が張り、録画しても見る時間もないのでとりあえず1TBのハードディスクをテレビ本体購入のポイント還元で。

もともと、我が家はケーブルテレビ会社の設備でテレビを見ていたので、アンテナは地デジ対応です。そのため、ケーブルを差し込むだけでテレビは映りました。今までのテレビはリサイクル費用がかかりますが、まだエコポイントが若干付与されるので、それで相殺・・・。

さすがに、液晶テレビは「きれい・・・」それが最初の印象。今までのブラウン管テレビに比べで人の化粧の状態や、時代劇ではかつらの継ぎ目まではっきり見えます。今までのメイクだと今後はダメなのでしょうね。

インターネットも、ルーターにつないでOK。凄いですね。

地デジとBSの他に、スカパーe2というCS放送も受信可能。こちらは、ケーブルテレビに契約しても見られます。ケーブルテレビ会社では、今までのテレビもケーブルテレビ経由だとそのまま見られて、スカパーのチャンネルも見られるとのことでしたが、スカパーと直に契約の方が安いようです。

最初はお試しで、CS放送がすべて受信可能。珍しいのでいろいろ見ていましたが、テレビ購入後7日間だけ。それ以降はお試し視聴に登録して、それが終わると本契約。テレビに識別カードが入っているので、それでわかるのですね。ということは、一般の放送もNHKは、受信料を支払っていない人に見せない方法もある・・・ということ。しかし、公共放送ということでそれができないのでしょうか。

CS放送は、昔懐かしい番組や映画・ドキュメンタリーなど結構楽しいですね。キャンペーンで本契約をしても2月分は実質無料になりました。3月より課金。パックだと4,000円ぐらいかかり、それだけのものを見るのかどうか・・・ということを考えると無駄な感じもあります。

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2011年3月 1日 (火)

我が家の高校受験-4

試験日まで、いろいろとありながらも当日。あとは親が気にしても仕方ないので・・・。試験の日の夜、私はスポーツクラブへ行く日なので遅く帰ってきましたので。それからは普通の日々です。合格発表は2月25日。娘は一緒に受験した友人達と発表を見に行きました。私は仕事でしたが、メールで合格の連絡。良かったです。

ちょっと夢を見て、少しレベルの高いところを目指したのですが、それがあったからこそ今のところに合格できたのかもしれません。今になると娘も、小学生の頃から知っていて、漠然と憧れていた学校なので、満足のようです。受験生の親・・・といっても結局本人の人生なので・・・とは思っていますが、大変でした。うちは、公立でしたが、私立や国立を目指した方はもっと大変だったのでしょう。うちにとっては最初のイベントでしたが、3年後の大学受験の時は年齢的にも大人になっている頃なので、何とか自分でするでしょう。3年間はあっという間でしょうが、二度とない高校生活なので、悔いのないように過ごして欲しいと願っています。それまでは私もせっせと働かないと・・・。

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我が家の高校受験-3

受験するのは、娘であって私ではありません。できることは風邪を移さない・・・とか、家庭不和を起こさないとか・・・。そんな中での、昨年7月のバイクでの事故は大失態。おまけに新しいバイクを買ったので・・・またまた。ただ、あくまでも普通の生活を続けていたので・・・。

私の中学時代の感覚では、クラスで1番~2番の子はトップの高校。3~5番の子はどこ・・・なんて感じでした。こちらでは、まず国立や私立難関校の子がトップの子。その次が地元の私立。そしてその次が県立の高校。ただし、公立は内申点がある程度合否に左右される部分があるので、私立の方が一発試験で大逆転が効く場合もある様子。なので、クラスでトップだから私立・・・ということでもなく。娘は、内申がまあまあなのですが、本番に弱い・・。これはスイミングスクールの頃からずっと言われて来たのです。「公立向き」・・・と中学の先生にも言われて。それからは本人の努力次第です。

志望校は、県立でもかなりレベルが高いので、やはり難しくなってきました。基本的に市の中心部のある学校なので、市内のどこからでも通学可能。私としては行かせてあげたいのですが、気持ちだけではどうにもなりませんね。結局受験校を変更する決断をしました。今の成績で何とか合格圏に入るところに。本人にとっては不本意だったでしょうが、変更した学校はもともとの学区内のところ。隣の区にはなりますが、この地域では評判のいいところです。もともとはここを志望していたのと、以前住んでいたところと同じ学区で、その時の友人やスイミングスクールの仲間も受験するということで気持ちは吹っ切れた様子です。

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我が家の高校受験-2

娘が中学2年になると、最初の面談で高校は私立か公立かを尋ねられました。1年の時にも聞かれましたが、その時は「未定」としていましたが、私立や国立希望の生徒は、1年の時から既に目標校を決めて頑張っている様子。というより、私立中学が不合格で公立中学に来た生徒も数名いるのです。

親がいろいろと考えるより、まず娘本人の気持ちはどうなのでしょう。妻は結構話をしているようですが、私はあまり話もしなくなったので、まともに聞いたことがありません。

別にたわいもない話から聞いたところ、娘は「公立」に行きたいらしいのです。経済的なことを気にしているのかな~と思っていたのですが、それも少しはあるようですが、「共学」の学校に行きたい・・・。というのが理由。私立の場合、男女別学が多く、それが独自の校風になっています。娘の場合は、よくテレビドラマなどで、楽しい高校生活が出てきますが、それにあこがれているらしいです。私はそれが普通でしたが、男女別学はまた違うイメージがあるのでしょうね。

次に志望校をどこにするか・・・。入れればどこでもいいのでしょうが・・・。神奈川県の県立高校は県内であれば学区がありませんので、どこでも受験できます。例えば小田原や横須賀の高校でも大丈夫なのです。以前は、学区制でしたので、私の住むあたりの横浜北部は私立志向が強いので、公立は人気がなく受験も易しかったらしいです。しかし、学区制を廃止し県でも公立高校のレベルアップをはかり、昨今の不況もあってか、公立高校の人気も上がり、ずっと難しくなった様子です。娘の第一志望は横浜市中心部の県立の高校。うちからは地下鉄で行けるところ。公立で、共学で横浜の都心部に近い・・・娘の憧れの条件はすべてそろったようです。そうして始まった受験生活でした。

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我が家の高校受験-1

今年になり、我が家の一大事は、娘の高校受験。こちらに引越してきた時には、娘もまだ小学6年で、それまでは家族別々に暮らしていたので、前の小学校へ。新居の学区の中学に入学して、誰も友達もいないところで大丈夫かな~と思いながら・・・。あれからもう3年ですね。あっという間でした。

私は、地方の出身なので、高校は公立でした。地域的にも公立主体のところです。通学の区域も決まっているので、現実的には中学の成績で輪切りにされます。まあどこでもそうでしょうが、そんな環境だった私は、今の首都圏の状態はよくわからなくて戸惑うことも多かったです。もっとも受験するのは私ではないので、親はお金を出すだけ・・・でいいのかも。

私の住むあたりでは、中学から国立や私立に行く人も多く、中学受験の塾も多いです。なので、本当に優秀な子どもはその時点で抜けていきます。なので、少しは楽では・・・。

神奈川県の場合は、横浜・川崎は市内に私立の名門校があり、東京へも通学可能なので公立よりも私立の人気が高いようです。確かに、私の住む田園都市線沿線は、沿線に公立高校は少なく、電車に乗って都心へ行くと有名進学校があります。そんなわけで、通学の便を考えても選択の幅は広がります。

高校の授業料が無償化になったとはいえ、私立は差額負担もあり経済的には苦しいものもあります。ただ、本人が行きたいのであれば、親として何とかしてやりたい・・・。妻の実家は川崎なので、妻の兄弟もみんな私立の高校に行きました。妻も、義父母も私立志向。私は、高校は公立・・・と思っていましたので、そこから娘抜きでちょっと意見の相違も。私にしても経済的理由をメインにして公立を主張できないし・・・。

こんなことがあったのは、娘が中学2年の春でした。

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今日からまたよろしくお願いいたします。

本日から、更新を再開します。昨年末からしばらくお休みをいただきました。仕事が忙しくなり、家庭の事情などが重なり、時間的にブログの更新を控えていました。もともと毎日更新はしていませんでしたので、少しずつでも・メモ程度にでも続けていけば・・・とは思いましたが、一度休むとそのままズルズルといく私。何でもそんな感じです。今日は、3月1日。これからまた数日置きの更新となりますが、よろしくお願いいたします。

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