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2011年3月13日 (日)

東日本大震災-帰宅難民に

今までためていたことを少しずつ書いて行こうと思いましたが、それどころではなくなりました。私は岩手県盛岡市の出身で、両親が在住です。親戚もいます。また友人・知人も岩手県内にたくさん。仙台にも2回ほど赴任したので、被害を受けたところはほとんど行ったことがあります。仙台時代の同僚もたくさん。また、仕事で岩手県が担当だったので、宮古・釜石・大船渡・陸前高田はすべて私のエリア。気仙沼・八戸・志津川・石巻もかつて担当したエリア。お世話になった方もたくさん。心痛な思いてす。

●地震発生時の状況-私は会議の最中でした。揺れは長かったですが、キャビネットからものが落ちるような気配はなかったので、私は大丈夫だろう・・・と思っていました。ただ、地震慣れしていない人は恐怖感が募るばかり。会社の建物は古いので、壁が少しはがれおちました。また私の机はものを雑においているので崩れ落ちました。一旦外に出ましたが、強い余震が・・・。

●帰宅難民に-JRは当日の運転を取りやめ。地下鉄や東急も見合わせ。小田急が利用できれば・・と思いましたがそちらもダメ。このまま会社か避難所に泊まろうか・・・と思いましたが、家族との連絡が一切取れないので徒歩で帰宅をすることに。会社から自宅まで、明治通りと国道246号線経由で約30キロ・・・。長いです。ただひたすら南へ歩くだけです。通りはもう、花火大会のように歩道が渋滞。動きが鈍いです。ハイキング用の準備ではないので、だんだん辛くなります。渋谷駅付近はバスを待つ乗客で長い列。公衆トイレも長い列。池尻から三軒茶屋まではまだ大丈夫。歩道には視覚障害者用の凹凸がありますが、それがまた足にあたって歩きにくい。ただ、これが視覚障害者とにっては大事なのですね。

駒沢で、渋谷と二子玉川までの半分。まだ平気でしたが周辺のコンビニはトイレを利用する人の列。駒沢までは田園都市線と246が並走していますが、各駅ともシャッターが閉まっています。新町で、246と田園都市線が分かれますが、私は246方面へ。電車の開通をあきらめ、とにかく246を南下。新町消防署がトイレを解放していたので、そこを利用。みんなコンビニで長い列を作っていましたが、こちらは誰もいません。案内をうまくやればみんな助かるのに・・・。

官房長官の通達で、公共施設が休憩所・避難所として開放。世田谷区の方が、桜町小学校を解放している案内を持っていました。私は疲れたのでここで休憩。体育館に椅子やシートがあり、毛布・お茶・水・乾パンが提供されていました。パンパンになった足を休めます・・・。ここから自宅まではまだ倍以上の距離。

今までまったく通じない携帯電話やIモードが開通。田園都市線が開通していることを知り、そこから用賀駅まで。

用賀駅では、警察官が配置されていました。下り電車がやってきますが、もう超満員状態。私は何本か乗り過ごしましたが、何とか乗車し、自宅のある駅まで。

会社を出て約3時間。通信手段はまったく使えず、頼れるのは自分の足だけ。文明に慣れてしまった人間にとってはとても大変。道路も大渋滞。たぶん歩いた方が速かったのでは・・・。停電がなく、道路が明るかったのが救い。ただ、風が冷たくて・・・。

どうにかたどり着いた帰路でした。

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