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2011年4月30日 (土)

強風の日は、バイクに乗らない方がいい・・・。

旭市・銚子市方面へ出掛けた今日・・・、実はとても大変に一日でした。天気は良い日でしたが、風が強い日。多少風が強くても、今の季節ならそれもまた気持ちがいいものです。ただ今日は強すぎました。

今までバイクに乗っていて、「恐いな~」と思ったことは何度かありました。高速で雪が降って来た時、下り坂がリアブレーキが効かなくなった時・・・、急ブレーキを掛け、後ろのタイヤが横滑りした時・・・。でも何とか乗り切りました。事故に逢ってからはできるだけ無理はしないようにしているので、最近はあまり恐い経験はありません。しかし、強風はどうにも・・・・。「もうダメかな・・・」と何度も思いました。

アクアラインの海上橋は、ものすごい突風。海岸線の道路で、山が途切れ海が見えた瞬間は、いつもなら絶景に気分上々なのに、突風・・・。

強風の時は、速度・ギアを落として、身体を前傾にしたり・・・。ニーグリップをしてハンドルから力を抜き・・・というのが鉄則ですが、突風だと身体を飛ばされないようにするために無意識にハンドルにしがみついてしまうので・・・。

ハンドルがガタガタ揺れ始める、身体が揺れバランスが取れなくなり、バイクも揺れる。真っすぐ走っているつもりでもバイクごと流される・・・。

私のバイクはネイキッドタイブなので、風が抜けやすく安定しやすいのですが・・・。

気象庁のホームページをみたところ、私が通過した時間の千葉市や江戸川区の臨海部は風速14メートル。レインポーブリッジは12メートルでした。普段、横浜ベイブリッジを通る時に、風速7メートルぐらいになると、少し運転しにくいと感じます。10メートルを超えると260キロあるバイクでも恐いです。

確かに今日はあの時間、千葉方面にあまりバイクはいなかった・・・。強風でも走っているのは個人の責任なので、事故になっても自己責任。

高速と下道を交互に乗り降りして無事帰宅。ホッとしました。何とかバイクと自分の身体は無傷で・・・・。

強風の時は、バイクに乗らない方がいいみたいです。

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旭市・銚子市へ

今年の連休は、5月の2日・6日を4月の休出の振替休日にして、私は10連休です。後半は実家の岩手に帰ります。子供たちが、高校と小学校へそれぞれ入学したので、カレンダー通りのため、私と同じく10連休ではありません。

娘は、高校生になり私達とあまり出掛けることはなくなりました。後半の3日間は震災の見舞いと進学の報告のために帰省しますが、前半は予定なし。29日はいつものように買い物に出かけ、30日はフリータイム。ということで、震災の影響を受けた千葉県の旭市へ行ってみました。

旭市は、九十九里海岸の東端で、銚子の南側。私はあのあたりは行ったことがありませんでした。アクアラインができたので、神奈川県からはわりと近くなりましたが、旭市のあたりはあまりなじみがない感じです。今は匝瑳市となっていますが、旭市の隣にある旧八日市場市や旭市は、何が有名なのかな~。しかし、今回の震災で旭市は、津波の被害を受け、死者も出ました。津波の被害は東北地方があまりに大きく報道されているため忘れがちですが、今回の地震で成田市は震度6弱。千葉県は、浦安市の液状化現象の他に、沿岸での津波の被害や、北東部の内陸でも道路の陥没や建物の倒壊など被害もたくさん。東北の被害がなければ、首都圏であれだけの被災をした千葉県は大きなニュースになっていたと思います。

さて、今回のコースは第三京浜・首都高湾岸線・アクアライン・ここで道を間違え、そのまま圏央道に入ってしましったので、一旦下道へ出て、館山道・千葉東金道路・銚子連絡道・国道126号です。

銚子方面へはまだ高速道路の整備はされていませんが、東金・八日市場・旭へは総武本線が通っていますので、かつてはこのあたりが栄えていたのでしょう。線路は陸側ですが、そこから海岸線へと進みます。

海岸線への道にところどころに傾いた電柱がそのままに。道路も砂利道になっています。液状化によるものでしょうか。

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ここは、旧飯岡町。今は旭市に合併。旭市の津波被害の地域はこの飯岡地区です。写真のところは、飯岡の海岸の入り口の国民宿舎前です。「がんばろう旭」というスローガンが掲示されていましたが、休館中。今日は風が強く波も高いです。海岸線の侵食があるので、その護岸工事をした碑がありましたが、津波はそれを超えてきたのですね。海岸線からは距離がありますが、それも越えてきたのでしょう。ここは、住宅が少ないのですが、ここから銚子寄りは住宅地。ほとんどの家が津波の被害を受けた様子。土台だけになっているところは、全壊した家でしょう。がれきはほとんどなくなっていました。

東北の被害に比べ、規模は小さく復興も進んでいるように見えますが、規模の大小は関係ないですね。家を失った人は生活の基盤がなくなったのには変わりないのです。なだらかな海岸線のこのあたりは津波が来ると思いもよらなかったのでしょうね。今も避難所生活の方もたくさん・・・。海岸線には海抜4メートルの標識。今回の津波はここでもかなりの高さだったことが・・・。

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飯岡から先に進むと銚子市になり犬吠埼です。ここは断崖になっているので津波の被害はなかったようですが、過去にここまで津波が来た・・・という看板がありました。銚子電鉄の犬吠駅。ちょっと洒落た駅ですね。

その後銚子市内へ出て帰宅の途に・・・。

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2011年4月26日 (火)

田中好子さん・・・

先週の木曜日に、女優の田中好子さんが亡くなったというニュースが流れた。まだ若いはずなので、事故か何かと思っていたのですが、19年間に及ぶ闘病生活の末での逝去。驚きました。訃報から通夜・葬儀のニュースは、NHKをはじめ各局で大きく取り上げらけました。それだけ多くの人に愛された方・・・。

NHKは、もともとのデビューがNHKの歌謡番組のアシスタントであったことや「おしん」「ちゅらさん」などのドラマでの名演技があった故、かなりの時間を割いての報道でした。

私達の世代は、キャンディーズ世代・・・。私もNHKの歌謡番組で椅子運びなどのアシスタントの頃から彼女たちを見ていて、「キャンディーズという名前が決まりました・・・・」というのも番組中に発表され、今でも思い出されます。それから、TBSの「8時だよ、全員集合」のレギュラートとなり、ドリフターズとのコントの面白さや、体操の時間の演技など、いつも私達の中には普通にキャンディーズがいました。私は特にファンではなかったのですが、歌手デビューしてからもキャンディーズの歌声はいつも聞こえていた感じです。

うちの 子供たちには田中さんを、女優になってからの姿しか知らないので、とても優しいお母さん・・・のイメージが。田中さんの演技はどこか暖かく、ほっとするイメージが。それだけではないのでしょうが、国民的スターであったことは間違いないですね。

55歳は、亡くなるにはまだまだ早い年齢です。伊藤蘭さんはやはり女優になっていましたので、よく見かけていましたが、藤村美樹さんの姿は久々に。美樹さんは、普通の人になって結婚され、芸能界から引退されていましたが、当時の面影はあまりなく落ち着いた雰囲気。でも今の方がいい顔でしたね。田中さんの訃報でまた美樹さんの姿を見れたのも悲しいですね。

乳がんは、治癒率も上がってきた・・・ということでしたが、やはりそう簡単に克服はできないものなのですね。25日の告別式で、田中さんの肉声のメッセージが公開され、報道ステーションで全てを聞くことができました。最初に声を聞いた時、いつもの田中さんの明るく元気な声ではなく、弱々しい声。闘病の疲れが伝わってきます。それでも震災の犠牲者を気遣って・・・・。ご自身の死期も悟ったいたような内容。そして、親しい方やファンの方へのお礼の言葉・・・。「息苦しくなってきました・・・」という言葉には、聞いている私も絶句。最後の力を振り絞ってメッセージを伝えている田中さんの言葉がさらに重く・・・。

田中さんの意思でもある、また「復活」は是非実現して欲しいです。本当に何とも言えないメッセージでした。

私達の世代の青春がまたひとつ消えた感じです。残念です。

田中好子さん、今までありがとう。そして安らかに・・・・。

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2011年4月11日 (月)

小名浜へ

地震から1か月たった10日の日曜日、知人のいる福島県いわき市の小名浜へ行ってきました。福島第一原発の避難区域にはなっていませんが、距離的には近いのでいろいろと不安があるようです。もう少し北側の平地区(いわき市の中心部)は、自主避難の人がいたり、物資が不足しているところもあるようですが、南側の小名浜地区は、物資もそろそろ入ってきている様子。

そして、この小名浜は、津波が約3メートルぐらい押し寄せ、被害を受けたところ。海岸沿いの地域は被害を受けましたが、私の知り合いは海岸よりは少し離れているので被害はありません。

一時は、原発問題で完全に孤立した感じになり、ひどい状態に。家を流された方は、避難所生活をしていますが、かなり落ち着きを取り戻している様子。

私は、お見舞い金と若干の物資を持参。クルマが点検で使えなかったので、バイクに積みました。

先日、宮古へ行った時はあまりに悲惨な状況と、避難している人の問題もあるので写真は撮れませんでしたが、今回は何枚か・・・。

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小名浜地区の海岸です。ここは、大きな水族館と観光施設のあるところ。地震がなければ、たくさんの観光客が賑わっていたことでしょう。このあたりの道路はもうボロボロです。信号も点灯していません。

小名浜は東京からも近いので、大きな港湾プロジェクトが進行中。港を生かして、大きな工場も進出しています。かつては、水産と炭鉱ぐらいしか産業がなかったこの地区ですが、新しい産業による発展を計画していた矢先の震災。

岩手の被災地と比べ、ちょっと様相が異なります。しかし、今まであった生活基盤を失ったのは同じ。そして、原発問題がさらに重くのしかかっている様子でした。

知人の家族に、自主避難の気持ちがあれば・・・と思いましたが、住みなれたところなので、それも難しい様子です。

常磐道から、国道6号にかけて、「段差注意」の看板がたくさん。地震で被害を受けたものを修理したのでしょう。そして、高速のガソリンスタンド(茨城県側)にあった張り紙には「窓ふきのサービスは、原発事故のため自粛するよう指示が出ています・・・」とのこと。放射性物質の問題でしょうか・・・。

●そんなことを感じた昨日から1日経った11日の夕方、この地区に大きな地震が・・・。幸いにも津波は来ませんでしたが、かなり大きな揺れ。知人とやっと連絡が取れ、家の中のものがたくさん落ちた様子。会いに行ったの゛昨日でよかった・・・。

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2011年4月 8日 (金)

震災により、有名になった地名

昨晩は、また大きな揺れがありました。やっと落ち着いてきた矢先の地震だったので、余計に驚きました。特に夜で、東北地方は強い揺れと同時に停電になった様子。私の実家も盛岡市で、揺れは3/11の時よりも強く感じたらしいです。これは夜間のせいかも・・・少しは暖かくなったとはいえ、停電は早く回復して欲しいです。

さて、今回の震災で今まであまり知られていない地名が全国的に有名になりました。こういう震災ではない形で有名になればよかったのですが、みんなが復興の際に気にかけてくれれば・・・と思っています。

最近は良くなりましたが、テレビやホームページなどで、地名(市町村名)と県名が間違えている場合がたくさん。ちょっと気になります。地元の放送局からの中継で、その局のレポーターは間違えませんが、東京からの放送や、応援で行っているレポーターはよく間違えます・・・。こんなことがなければ全国的に知られる機会もないので、仕方ないです。

まず、今回の津波で大きな被害のあったところは北から

青森県八戸市

岩手県久慈市

岩手県宮古市

岩手県山田町

岩手県大槌町

岩手県釜石市

岩手県大船渡市

岩手県陸前高田市→宮城県と間違えやすい

宮城県気仙沼市→岩手県とよく言われた

宮城県南三陸町

宮城県石巻市→宮城県第二の都市なのに、岩手県石巻市といわれた。

宮城県女川町

宮城県東松島市

宮城県利府町

宮城県塩釜市

宮城県七ヶ浜町

宮城県仙台市宮城野区

宮城県仙台市若林区

宮城県名取市

宮城県岩沼市→仙台空港

宮城県亘理町→福島県といわれた。

福島県新地町

福島県相馬市

福島県南相馬市

福島県浪江町

福島県双葉町

福島県大熊町→福島第一原発

福島県富岡町

福島県楢葉町→福島第二原発

福島県広野町

福島県いわき市

あまり馴染みのないところだと、よくわからないのが現実ですね。八戸から宮古の間の町も被害に逢いましたが、基本的に宮古市以南の被害が大きいです。また、宮城県の松島町は、島々に守られ被害が少なかったようです。

仙台市は、若林区の被害が大きかったですが、仙台市は他の市と異なり、町の中心部を3つの区に分けています。仙台駅からすぐのところも若林区。そこから海岸線までずっと・・・。私も最初に仙台に赴任した時は、職場も家も若林区でした。仙台市の中では若林区がマイナーなイメージなのですが、今回大きな被害を受けて、有名になってしまいました。

昨日の地震で、震度6強だった、仙台市宮城野区。仙台の各放送局の報道フロアの様子が放映されていましたが、日本テレビ系のミヤギテレビは、フロア内のキャビネットが揺れて倒れた様子が・・・。ミヤギテレビは、宮城野区。他の局よりも激しい揺れだったのでしょう。

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2011年4月 7日 (木)

避難所を訪れて

先週の週末を利用し、再び実家のある岩手県へ帰省してきました。東北新幹線が復旧していないため、行きは深夜バス。東京駅から、盛岡行きのバスは臨時便が出て、かなりの混雑。深夜バスは以前利用したことがありますが、やはり疲れます。

実家は、特に大きな被害を受けていないので、大丈夫でしたが、余震が続いているため高齢の両親にとっては不安な日々が続いています。盛岡市は、ほぼ通常に戻りました。スーパーの品薄状態は続いていますが、ガソリンも給油制限もなくなり・・・。両親の支えとなっているホームヘルパーやショートスティも再開。まずひと安心です。

さて、いとこが亡くなったため、宮古市の避難所へ行ってみました。盛岡市から宮古市までは、普段でもバス利用なので、路線バスも通常運行となっているので、特に支障はなく現地へ。宮古駅前は、被害は少ないですが、海岸へ進むにつれ、報道されているとおりの様相です。がれきの撤去もまだ進まない様子。テレビで見る街の様子は、画面の範囲しか見られませんが、肉眼で被災した街を見ると、改めて津波の恐ろしさを知ることに。

市内のバスやタクシーは被災地区には行けないので、親類のいる避難所まで歩きました。高台の学校の体育館が避難所。被害を受けていないところは、電気も復旧しましたが、避難所付近は電柱がなくなっているので、電気はありません。水道も使えない状態。ガスはプロパンガスを用意して共同の炊事場をつくっています。

避難所の様子も、テレビで紹介されていますが、ここにもう2週間以上もいると身も心も疲弊状態の人がたくさん。ただ避難しているわけではなく、家族や家を失った悲しみに加えての避難所生活なので、何と言ったらよいのでしょうか・・・。

あまり付き合いのない親類にあたるのですが、私は香典と食料品や日用品などを持参しました。ただ、私もこういう避難所のことをよく知らないで行ったので・・・。

まず、親類を探すのが大変。名簿でそこに居ることはわかっていましたが、狭い空間にいるのでどこにいるか・・・。いちいち聞いて回るのも、休んでいる方の迷惑になるので慎重にしないと。また、スタッフの方に聞くのも、忙しくしているところに声もかけにくいです。

やっとのことで見つけても、周囲の人への気遣いもあり、そこで話もできません。普段、入院している人を見舞う時に、同室の人を気遣う・・・といったことがありますが、避難所はもっと気を遣わないと。スペースが狭い上に、誰も尋ねてくる人がいない方のことも気遣わないと。また、持参した品を渡すのも・・・。私は、ほんの気持ちだけのつもりで持参したのですが、特に食料品などは少ないものをみんなで分け合っている状態。そんな中で、特定の人だけが訪問者からの差し入れを受け取り食べるわけにはいかない様子。私は、ここから立ち去る人間ですが、親類はしばらくここにいないといけません。そんな中での共同生活では、秩序やルールを守らないと。ということで、持参した食料品と日用品は避難所のスタッフの方にお渡ししました。

外に出て、わずかな食べ物だけは渡せましたが・・・。

平穏な時であれば、みんな仲良く助け合って生活してきた地域が多い中、こういう状態になると人間の心もだんだん病んでくる様子です。報道はされていませんが、ささいないさかいはたくさん。最初のうちはあまりのショックで、みんな呆然として生きていることを喜び会い、避難所でも助け合って・・・ということだったようですが、それも日が経つにつれ・・・。交通も回復して、見舞いの人が多く訪れるようになると、やはり物資の問題が出てくる様子。今後の生活に対する不安がさらに避難所の人達を追い詰めていく様子。親類のところは、5人家族で母親(私のいとこ)と子供1人が亡くなりました。父親は、今後の生活の準備をしないといけないので、子供2人は盛岡の叔父のところへ移ることに。家族が亡くなった上に、また更に別れて生活をしないといけないのはとても不憫です。

宮古市をはじめ三陸地方の多くの街が同じ状態。とても複雑な気持ちで避難所を去りました。

平常に戻った盛岡市内には「がんばろう 岩手」のポスターがたくさん。

岩手県は、少しでも都会との差を縮めようと、東北新幹線沿線地区の開発を重視し、沿岸部は遅れ気味のところです。それゆえ、沿岸地区は美しい自然や絶景が見られました。その絶景も今回の津波ですべて崩壊。

もともと、財政基盤の弱い岩手県では、復興は厳しいでしょう。政府主導での早急な復興事業を期待しています。

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