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2011年5月21日 (土)

ステップアップ試乗会

バイク量販店のレッドバロンが実施する、「ステップアップ試乗会」。これは、レッドバロンが所有する那須モータースポーツランドが会場です。サーキットコースでの試乗。各社の新車に乗ることができるのと、サーキットコースを走れるのが魅力。とはいっても先導者のあとをゆっくり走るもの。私ととても普通にコースは走れないので、こういったイベントで体験走行。

あまり機会があるわけではないので、早朝に出発して那須まで・・・。メーカーや販売店の主催ではないので、強引なセールスもなく試乗に専念・・・。それがいい感じです。

参加日は1,000円かかりますが、その他に那須まで高速代やらガソリン代などを含めると・・・・。我が家からは片道で150キロ弱なので、ちょっとしたツーリングにはいいところですが、首都高を抜けるまで結構時間がかかります・・・。

わりと早い時間に到着しましたが、もう何名かの列ができていました。今回の目玉は、ヤマハのVMAXとホンダのVFR1200かな? その他新型では、CBR1000RR・YZFR1/ミドル系は、CBR250RやNinja400なども。以前は、午前と午後は車種が異なっていましたが、今回は午前も午後も一緒・・・。

ます、最初の試乗は・・・、VMAX。今回の新型はカラーバリエーションができたもの。VMAXは、普段ヤマハの特約店でないと試乗できないので、さすがにここでも人気。サーキッドを2周・・・。まだ時間的に早いので少し待てば・・。

Vmax (ここに写っている方は私ではありませんが・・・)

発売当初に、富士スピードウェイで試乗した時は、よくわからないまま終わってしまいましたので、今度は少し味わって・・・と思いましたが、やはり試乗はすぐに終わってしまうので・・・。ただ、音・・・、結構響くいいサウンド。そして低いギアで加速を掛けると凄いパワー・・・。

Ninja

次は・・・・、だんだん混んできたので、割と待たないもので楽そうなバイク。カワサキのNinja1000。姿勢が前傾ではないので、割と楽・・・。

最後は、CB1300SB。今乗っているものにカウルがついているものですが、さすがに慣れているので、走行は楽。確かに風が来ません・・・・。

3台乗った頃にはどこのブースも列が長くなり・・・。他にもいろいろと試乗してみたい気になりましたが、朝早かったのでそろそろ疲れが出て・・・。またここから家まで帰らないと行けないので、それを思うともう待つ気にはなりませんでした。

TMAXやスカイウェイブ650のAT車はすぐに乗れる状態でしたが、私には無理・・・ということで・・・。

Photo

ここは、普段利用登録をすれはコースを走れるのだそうです。試乗会で2周すれば実技講習免除であとは学科講習でOKとのことでしたが、それもパス。

今度は泊まり掛けで来たい・・・。

帰途、東北道に入り、パーキングで休憩していたところ、CB1300SBに乗る方に声を掛けられお話を。東名だとパーキングでもあまり声を掛けられることもないのですが、東北道や常磐道だと必ず誰かに声を掛けられます。仙台にいた時もよく声を掛けられた・・・。雰囲気が異なるのでょうか・・・。最初はバイクの話・・・。私はCB1300SFなので、風圧が強い話しなどをして・・・。ネイキッドの基本形が好きなことを話すと、「SFを買う人は、そういう人が多い・・・」ということで・・・。SBは、カウルの分、重く感じるがメーターやライトが固定されているので、ハンドルが軽い・・・のだそうです。確かにそうかも。

そして、その後震災の話になったところ、私と同郷の岩手のご出身とのこと。今は仙台にお住まい・・・。地震の時の話や、私が仙台でバイクの免許を取ったことや、その時に訪れた場所の話など。やはり東北はバイクの旅では絶景の地ばかり。早く復興して再び笑顔で訪れたい・・・という話をしてお別れしました。

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2011年5月 8日 (日)

復興へのスローガン

震災後、復興へのスローガンとして「がんばろう日本」「がんばろう東北」「がんばろう○○(地名)」が続々と・・・。特に違和感はないのですが、そこから発展して「心をひとつに」とか「日本がひちつのチーム」とかいうものも・・・。

いかにも日本人が好きそうなもの。私はこの「心をひとつ・・・」とかいうようなものはあまり好きではないのです。みんなそれぞれ状況も違うし、性格も異なります。それを何かに統一・・・。それができないと戦時中の「非国民」みたいな扱いに。これは少し飛躍した考えかもしれませんが・・・。

ただ、沈みがちな気持ちのままでは復興もできないので、何か元気の出るような言葉は必要です。

東北地方は、北の青森県と南の福島県ではまったく県民性も異なります。しかし、東北6県はかつての戊辰戦争の頃から何となく一体感が・・・。「がんばろう東北」と聞くと私も東北出身なので、想いが切々と・・・。

先日、帰省した時に岩手県内で盛んに言われていたのは「ふるさとは負けない・・・」という言葉。そこに住んでいる人も、離れて暮らしている人も共感する言葉・・・。私にとっても心に響きます。

Photo_2

盛岡駅にあったものです。ここには、「全国の皆様」「世界の皆様」と書かれています。「世界各国から支援があった今回。忘れてはいけない言葉ですね。

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盛岡駅ビルの書店の前にあった釜石からのメッセージのコピー。他に場所にも掲示されています。「復興の狼煙プロジェクト」というものです。被災者が復興に向けての決意を示しているもの。こちらは逆に我々も力づけられます。

その中で一番好きなのはこれです。

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「前よりいい街にしてやる。」この街か好きで、この街を絶対復興させようとする気持ちが伝わってきます。

私は若いころ、盛岡があまり好きでなくて東京に出ることを夢見ていたところがあります。最近は、故郷の岩手が懐かしく盛岡の街を歩くたびにいろいろな発見が・・・。歳をとったのでしょうね。

最後は、NHKで先日放送された「どんど腫れスペシャル」のボスター。主演の比嘉愛未さんの女将姿です。この番組は、4年前に放送された朝ドラの続編。本編も盛岡の誘致でしたが、続編も地元の署名活動があったものらしいです。内容は正直言ってあまり・・・という感想ですが。震災前に制作が進んでいたもの。何の因果もないのでしょうが、タイミング良く震災復興に一役買う形になりました。ドラマの最初に比嘉さんから被災者へのお見舞いメッセージがあり、出演者全員の応援メッセージがNHKのホームページに掲載されていました。このドラマの主題歌は小田和正さんの「ダイジョウブ」。こちらもまた復興のスローガン的にものになってしまいました。

Photo

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震災の街へ-宮古・釜石・山田-

5月のゴールデンウイークは、私の実家へ家族で帰省しました。子供たちのそれぞれの進学の報告と震災の見舞いを兼ねて・・・。

盛岡市は、津波の被害はないのですが、私の実家でも建物の被害が少しありました。また、4月中旬は関東地区で余震が多く、東北では少なかったのでず、帰省中は毎日のように余震が続き、また東北での揺れが増えています。首都圏のテレビでは見られなくなりましたが、東北地方ではまだNHKは、画面に生活情報が流れています(福島県では、各地の放射性物質の測定値が表示されているようです)。

5月4日に、少し大きなクルマを借りて、私の両親を含め6名で被災地を見に行きました。亡くなったいとこの家族は盛岡へ避難していますので、父の知り合いのいる釜石市へ、そしてそこから大槌町・山田町・宮古市へ抜けるルート。

見物みたいな感じで気が引けましたが、ニュースで被災地の方の中には、休んでいた店舗を再開しているところもあり、ボランティアでなくとも是非被災した様子を知るためにも現地に足を運んで欲しいという意見もあるようで・・・。

さて、最初の訪問地は釜石市。私の母が戦時中釜石の鉱山で事務員をしていたこともあり、新しくできた新仙人道路ではなく、旧道経由です。花巻から遠野経由・・・。内陸方面から三陸へのクルマも多いのですが、三陸からのクルマも多いです。

釜石市は、新日鉄の街。かつては人口が9万人(今は4万ぐらい)を越えたこともある街。山と山の間に細長く広がっていて、内陸部はかつては新日鉄の社宅が多く県立病院や県立高校はこちら側に。海からは離れているので、津波の被害はまったく受けていません。以前の市街地がそのままです。コンビニの品物がないのが震災の被害を物語っている・・・。釜石駅とその前にそびえる新日鉄の工場まではまったくそのまま。そこから甲子川を渡り、海側は津波で壊滅状態。こちら側は港町となり、繁華街です。私が仕事で岩手を担当していた時に宿泊したホテルもこの付近ですが、1~2階は津波の被害を受けたようで、休業状態。アーケードの商店街がアーケードの上まで川のような津波の流れになった様子がテレビで放映されましたが、まさにここ。最盛期は盛岡市の繁華街を凌ぐほどの商店街だったところだそうです。信号機は消え、応援の他県警察官・自衛隊員が交通整理・・・。

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震災から1か月以上経ちかなり落ち着いたとのことですが、がれきの撤去はまだ手つかず。ここは、父の知り合いの家のところです。当人とも会うことができ、写真は了解を得て撮らせていただきました。もう何とも言い難い風景でした。

釜石から北側へ・・・。釜石の鵜住居地区・隣の大槌町もかなりの惨状。

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上の写真は、大槌町からさらに北側の山田町の中心部です。山田町はわりと大き目の湾となっていて、普段は絶景の地です。ホタテの養殖もさかんで、時期になるとホタテを焼いたいいにおいがします。ここは、津波が引いた後、火災も発生し街がそのまま無くなったようです。まるで戦場・・・。これらの写真は、付近で作業をしている方にお話しをして撮影させていただきました。

この付近は、JR山田線が通っていますが、線路自体が流されています。JRは内陸から宮古・釜石・気仙沼までは復旧していますが、沿岸沿いは不通です。陸前高田や大船渡・久慈へは鉄道が繋がっていない状態。復旧の見込みは立っていない・・・。国道45号線は復旧していますが、途中途中に、「津波時浸水区間」とあります。山側・海側がありますので、その警告のとおり、浸水区間の街に津波がやってきた・・・というのが現実。

最後は宮古。宮古市も、市役所から西側の内陸部は被害がありません。私のいとこの家は海側・・・。漁港・魚市場・海産物産館のある付近を含め海側が大きな被害です。

1_3 平穏な宮古の港ですが・・・。

Photo 無事だった宮古駅。

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漁業や港湾関係の施設でしょうか・・・。左側の写真にある船は、海から打ち上げられたものです。

釜石から宮古まで・・・、休憩の際に、地元の方に話を聞いて・・・。私達が見たものは、50日後の姿。しかし、この場所で多くの方が津波にのまれて亡くなったことも忘れてはいけません。帰りのクルマの中で母が泣き出し、妻も・・・。家を失い、家族を失い、生活の基盤を失った方のことを思うと・・・。両親に言わせると、「終戦後のよう・・・」とのこと。戦後の復興も長い時間がかかった・・・。この震災でもそう簡単にはいかないでしょう。

私は、どうしても私の子供たちにテレビの映像や写真ではなく、生の様子を見せておきたかったのです。彼らが今後の日本を背負っていくのですから・・・。そう思いながら、盛岡までの帰途につきました。

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