2009年10月12日 (月)

渥美半島へ

この三連休、一応家族サービスということで、一泊2日で旅行に行ってきました。どこに行くかと言ってもみんな混んでいるし。まあ、泊まりがけならいいということで、おととし私がバイクで自分のルーツをめぐる・・・ということで訪れた愛知県の渥美半島(田原市)に行ってきました。

どうってことはないのですが、一応我が家のルーツを子ども達に見せるということで、伊良湖岬のホテルに一泊して、渥美半島を一周です。特に面白いものはないかな・・・と思っていましたが、以前訪れたところ以外にも結構穴場があり、それなりに子ども達も楽しかった様子です。

ここは、愛知県ではツーリングにはいい場所のようでバイクもたくさん。

高速代の割引効果は絶大ですね。新幹線で行こうかと考えましたが、4人だと・・・・。厚木から東名を利用すると1,000円で行けるのです。ガソリン代はかかりますが、私の車はバイクと違ってレギュラーでいいので、それほどかからなかったし。帰りは渋滞になりましたが、まあまあの休日でした。

★今回は家族旅行のため、写真はありません。

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2009年8月16日 (日)

勝浦へ

今年の夏は、どこにも行かない・・・つもりでしたが、子ども達に海に連れていく約束をしていたので・・・・。娘はあまりあてにしていないのですが、坊主は「いつ、いつ・・・」と忘れていないみたい。幸か不幸か、先週までの土日は天候が悪かったのと、私もいろいろと忙しくて。来週は用事があり、その次だともうシーズンオフに近づく・・・、というと今日しかありません。

でも、お盆の最終日なのでどこも渋滞・・・・。今回も雨が降ればと思ったのですが、晴天。ということで、出かけることにしました。いつもは江ノ島か鎌倉、三浦海岸と県内。ただ、行くまでと、帰りの渋滞もひどい。伊豆は東名が渋滞、とにかく幹線の高速を通るところは渋滞なので、どこが・・・・。そんなにたくさん海で泳ぐわけでもなく、適当に遊んで、海産物を食べて、景色をみて・・・・あまり渋滞もなく・・・・、そんなところは近場ではないですよね。

いろいろと考えているうちに、以前行った勝浦方面を思い出しました。館山の手前まで高速ができたし、いざとなればフェリーも使えるし、アクアラインも値下げしたので。

ルートは、第三京浜都筑→アクアライン→館山道→鋸南富山→よくわからない県道→鴨川→勝浦。

よくわからない県道は、以前バイクで来た時に、鴨川への抜け道でほとんど地元の人しか通らない道があることを知りました。途中で、道幅が狭くなりますが、車なら安心(以前、バイクでヒヤヒヤものでした)。私の「下見の旅」も案外役立つのです(その時は、保田から長狭街道をいくばずが、間違えてしまったのです)。

朝8時に出て、アクアラインの海ほたるは満車。ここは何度か来ているのでパス。みんなも早く海へ行きたい・・・というのでOK。今800円なのですね。ずいぶん安い。バイクだと640円。今度来たいですね。館山道は1車線区間で少し流れが悪くなりますが、問題なし。よくわからない県道は、車はうちだけ。対向車もほとんどいません。のどかな山間と言う感じ。とても首都圏の千葉県とは思えない風景です。こういうところは、私は見慣れていますが、子ども達には新鮮なようです。

鴨川に着きましたが、有名な「鴨川シーワールド」はパス。駐車場満車。シーワールドはいつでも来られますが、海のシーズンはもう終わりなので・・・。これもみんなで合意。

勝浦に入りましたが、どこがいいか・・・、海は車窓から見えますが・・・・。「海中公園」という看板が目に入り・・・・。

2009_08160004 鵜原というところです(なかなかいいところです。穴場かも)。ここは、県立博物館の分館があり、ちょっとした観光地。ただ、国道から少し入ったところなので、わかりにくいところです。この海岸、実は「遊泳禁止」なのです。海の家もなく監視員もいません。ただ、入江になっていて、みんな海に入っています。一応、休憩所もあって、「水遊び」をするにはいいところです。娘も坊主も海で泳ごうとは思っていません。泳ぐのはスイミングスクールでイヤというくらいやっているので、水浴びでいいのだそうです。私も妻も日焼けがダメなので、少し水に入るくらい。

うちは、海用の水着はみんな持っていないのです。全部競泳用。なので、昨日ユニクロで急いで買いました。外房なので、水は少し冷たい感じもありますが、日差しが強く、上半身を海中から出しているだけで汗が出て来ます。

2009_08160006 この先の丸いところが水中にあって、中から海中の様子が見えるのだそうです。せっかく来たので、行ってみることにしました。JAFの割引があって団体料金に。海で遊んだ後なので、少し疲れていましので、塔のあるところまで歩くの大変。かなり歩きます。昼食は、ここにある展望レストランで。ホテル三日月の直営なのだそうです(結構高かったです)。

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中は、こんな感じ。窓があって、中から魚が・・・、といっても見えません。高い入場料を払った割には・・・と思いますが、こういう施設はあまりないようなので。水族館とはまた違った雰囲気です。

2009_08160002 こちらは、反対側にある県立博物館の分館にあるエチゼンクラゲの標本です。本当に大きいですね。過去に勝浦まで来たものなのだそうです。駐車場もここのものを使ったので安いです。ただ、この博物館は、水族館ではないので、魚のはく製や模型、展示品などがメイン。少し子ども達には人気がなかったです。

その後、再び鴨川に戻り、そのまましばらく南下します。途中、「行川アイランド」の駅が。そういえばそういうものもあった感じでしたが、今は駅だけ残り施設は閉園しています。

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道の駅、「鴨川オーシャンパーク」(左)「ちくら・潮風王国」です。トイレ休憩のたびに道の駅へ。今、道の駅はとても立派になっているのですね。このまま白浜まで・・・と思いましたが、帰りが遅くなるので、千倉から館山へ。こちらも、以前バイクで間違えて通った抜け道を通ったので、スイスイ。

後は、館山道に乗れば・・・と思ったのですが、やはり甘かったです。館山市内から富浦インターに入るまでが渋滞。バイクだと脇から抜けるのですが、車だとじっと我慢です。子ども達も妻もみんな疲れて寝ているし・・・。それでも、少しずつ流れて行ったので、木更津まで何とか。アクアラインに入るインターでETCのゲートだけが渋滞。そうでないゲートはスイスイ。これじゃ逆ですね。でも料金が凄く違うから仕方ないです。海ほたるもまた満車でした。アクアラインも多少渋滞していましたが、休日の東名に比べたら楽。それこそ、今頃東名はひどいいことになっているのでしょう。川崎に入り、首都高・第三京浜もスイスイ。そのまま、都筑まで来て、家の近くのファミレスで夕食を食べ帰宅しました。私はもう少し早く帰れると思ったのですが、妻は案外早かったという感じ。子ども達は明日学校ないからいいいですね。私は会社に行かないと。

まあ、丸一日家族サービスにあてた日。普段は、1人でバイクでいろいろと出かけるのでこちらも仕方ないですね。今回のコース、バイクだったら楽しかったと思うところもありましたが、暑いのでもう少し涼しくなったらまた来てみようてと思います。車は冷房が効いていますが、外は暑く、日焼け止めを塗っても私は皮膚が少しヒリヒリして来ました。

子ども達はどんな一日だったのでしょうね。

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2008年7月30日 (水)

北海道新幹線

北海道旅行最後の日。今日もどんよりとした天気。なかなか晴天には恵まれませんでしたが、涼しさも感じ過ごしやすい日でした。最後に五稜郭やトラビスチヌ修道院などを回り、函館駅から八戸まで特急に乗ります。函館駅は、私が知っている駅舎とは違い、とてもモダンなものに変わっています。ここは、将来新幹線が来る駅ではないのですが、北海道の玄関口の駅として明るく開放的な駅になっています。ところで、北海道新幹線の工事は細々とではありますが、新函館駅までの工事が継続されています。すでに青函トンネルは開通して津軽海峡線として営業。もう、北海道と本州は鉄道ではつながっているのです。札幌までの開業はまだまだ先のようですが、いずれ東京から札幌まで新幹線でいくことができるのですね。予定では、東京と札幌を約4時間でということなので、これが開通すれば飛行機と戦える範疇です。ただ、それだけの経費をかけて採算性があるのかどうかは疑問の残るところ。かつてのように景気のいい時代ではないので。とりあえず新青森までが先に開通します。八戸行きの電車から車窓を眺めていると、北海道側も本州側のような街並みになり、青森側は逆に開発が遅れているので北海道と本州の差があまり感じられないです。私がはじめて北海道を訪れたのは、中学の修学旅行で当然連絡船の時代。函館駅に降りた時は、本州とはまったく違った感じで。北海道新幹線が開通すると道南地区はますます変わっていくのでしょうか。ところで、実家に帰りましたが父親が肺炎で入院してしまいました。高齢なので、少し危険な状態。バイクツーリングの時に電話した時は元気だったのに。ちょうど実家に戻る期間だったので、私たちも旅行を中断することはなかったのですが、実家でのんびりというわけにはいかない様子です。

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2008年7月29日 (火)

ガイドブックのある旅とない旅

今日の函館地方は曇りでした。それでも、あまり暑くなく観光にはまあまあ。函館市内観光の一日です。道北をバイクで回っていた私は一応事前にガイドブックなどをみてはいましたが、その日の宿泊地に向けての大まかなルートだけ決めておき、あとは行き当たりの旅。今手元にあるガイドブックを見返すと、あそこも行っておけばよかったと思う場所も。たぶんそのまま素通りしてきたのでしょう。下調べをしていくと旅の楽しさが増すといいますが、北の大地をバイクで走っていることが感動。今回の道南の旅は、妻も娘も事前に見どころのスポットやショップをガイドブックでしっかりとチェック。おかげで、計画的に行動できました。函館を観光している女性のグループはみんなガイドブックを片手に。ただ、現状とのギャップも感じているところも。その点私は、途中で目に止まったものがあれば、そこでバイクを止めと言う感じてしたが、それなりに面白かったです。ガイドブックにはないいい場所もあったし。函館は、異国情緒もあるきれいな街ですね。稚内とは雰囲気は全く違います。どちらも好きな街。函館山からの夜景、きれいでした。明日は少し郊外を回り、そこから私の実家のある盛岡へ行きます。私にとっては8日間、妻たちにとっては4日間の北海道の旅は終わりです。

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2008年7月28日 (月)

道北と道南

昨日の北海道はとてもいい天気でしたが、今日はあいにくの雨です。家族と合流したので、今度は観光地巡り。ツーリングでは、観光地というよりも自然の中を走るだけでしたが、レンタカーでゆっくりと見どころを回るといった感じです。バイクだと合羽を着ながら過酷な中をひたすら走りますが、傘をさして歩き、クルマでの移動はやはり楽です。洞爺湖・昭和新山・登別などを回り、函館へ。道南地区は、道北と比べ人口も多く、町の規模も大きく、点在しています。道北だと隣町まで数十キロなんていうのがざらでした。途中、北海道らしい雄大な風景もありましたが、道北とはまったく感じが異なります。私は岩手県の出身なので、岩手県の県北から青森県のあたりになると道南地区と似通った感じに見えます。自然の違いもあるのと同時に、経済的な格差も道北と道南ではあるようです。夕食は、娘の友人のご両親と函館市内でご一緒しました。娘と一緒に転校をして、一緒にお別れ会をしたそうなのです。私たちも多少家族ぐるみの付き合いがありましたので。娘だけ、そちらのお宅に今夜はお泊りです。明日は函館市内を見物します。雨のようなので夜景は見られないかもしれません。

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2008年7月21日 (月)

函館は変わったかな・・・

私のツーリングの支度はだいたいできました。あとは明日会社に行くだけです。今度はその後の道南の旅の支度。

といっても、こちらはまだ1週間先のことですのでまだまだ。衣類だけ少し準備をしている感じです。家族旅行の方は、函館がメインです。今年は、表彰の旅行券があったのでよかったのと、娘も中学生なので来年はあまれ遠出はできません。今年がみんなで行くおおがかりなものは最後かもしれませんね。

函館は私だけ一人で1回、妻と二人で1回の2回行ったことがあります。ともに9月頃でしたので、少し朝夕は寒い感じでした。でも函館はいい街ですね。あの夜景も素晴らしいし。香港の夜景も素晴らしいけど、私は海岸線に横たわる函館の夜景が一番だと思います。また、数々の洋館や坂道を登ってみる海も素晴らしいです。

港の市場で食べる食事もおいしい。また市内を走る路面電車に乗って市内を散策するのものんびりとして。私単独で行く、稚内や旭川は自然がメイン。札幌はもう都会なので、街を見るのはいいかもしれない。その点函館は、みるところがたくさんという感じで、女性に人気の街です。

娘が会う約束をしている函館に転校した友人は、私たちが一緒に暮らしていた時の学校の子なので、ご両親もPTAでご一緒になったこともあり知り合いです。なので私たちも会うのが楽しみ。

そんな函館ですが、数年前に札幌と小樽を旅行した時に、現地のガイドさんに聞いたところ、最近函館はさびれてきているとのことでした。まず、東京からの運賃が高く、その分海外の安いところ行く人が多くなったこと。新千歳空港ができたので、飛行機の便はみんな千歳になり、観光は空港から一直線で速く行ける小樽がメインになったことが原因のようです。確かに小樽もいい街で、運河も洋館もきれいです。そして札幌に近いので両方観光が可能。函館は少し遠いのです。

函館は、新幹線が函館まで延びれば、北海道という形にとらわれずに、東北の延長という形で観光を強化したいと考えているようですが、新幹線が延びるのはまだ予定も立っていない様子。

さびれてしまったという函館。娘とその友人のメールには、やはりこちらのように、女の子が好きなものが買えるような店はあまりないと書かれている様子。地方都市はみんなそんなものなのですが、仙台や盛岡は比較的そういうものもあるようで、それに比べると水産業と観光がメインの函館はどうなっているのでしょうね。

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2008年7月 9日 (水)

平泉は落選

世界遺産の登録に期待をかけていた平泉ですが、残念ながら落選しました。岩手県内ではいろいろと盛り上がりをみせていたのに。

世界遺産とは、本来危機的な状態にあるものを保護して行こうという趣旨。それがいつしかブランド的なものになってしまった感じも。確かに、世界的に認定されればそれだけ有名になり観光客も増える。まあ、そういう打算的な考えでないにしても、世界に文化を紹介できるという利点もあります。日本の文化遺産としては、日光東照宮とか京都など歴史的に素晴らしいところ、そして広島の原爆ドームなど人類の犯した過ちを示す「負の遺産」など。特にこの原爆ドームはいろいろと議論がされたようですが、こういうものを世界遺産として登録することは素晴らしいことだと思います。

さて、平泉。ここはたしかに素晴らしい文化の「跡」がたくさん。ただし、あの当時の面影を残すものは「中尊寺」ぐらいです。その中で、金色堂はすでに国宝になっています。本当にあの一角・・・という感じ。ゆっくり探索すると、いろいろな歴史的な遺跡はたくさんありますが、町のの中に溶け込んでいるわけでもなく。

平泉町も、普通の地方の町としてのごく普通の顔もあり、私としては世界遺産に登録されるのは難しいだろうな~と思っていました。

歴史的に考えると当時の平泉は人口も20万人くらいの大きな街だったとのことですが、今残っている中尊寺ぐらいの寺院は他のところにもたくさんあるようにも思えます。そういうところが、ユネスコの担当者に訴えかけるものが不足したのでしょうね。

再び、登録に向けて・・・と関係者は言っていますが、期待は薄いです。

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2008年3月23日 (日)

「真中」

世田谷区の旧地名というか俗称地名に「真中(まなか)」というものがあります。東急田園都市線の駒沢大学駅付近で、地名でいうと上馬3丁目と駒沢1丁目の境のあたりです。国道246号と自由通りが交差するところ。

田園都市線の前身である、玉電にも「真中」駅はありました。今の電車の駅は「駒沢大学」ですが、駒沢の町は大学の近くで、この駅から徒歩で10分ぐらい。もともと、駒沢の町は大きかったので、田園都市線(新玉川線)が開通する時、当然本来の駒沢に駅ができるものと地元ではみんな思っていたらしいのです。しかし、東急は駅間距離の均等化で、この真中に「駒沢公園」駅を予定。訴訟問題にもなったようですが、結局和解案として駒沢大学の宣伝のように駅名をつけたとのことです。

さて、「真中」の地名の由来は、渋谷と二子玉川の真ん中の位置にあるからということです。三軒茶屋・中里・上馬・真中・駒沢と続き、玉電廃止後はバス停として残っています。

「真中」という地名は、ユニークなものとして、人気もあったようです。以前は交差点も「真中交差点」となっていましたが、今は、交差点もバス停も「駒沢大学駅前」となり、真中の名前は一部の店の名前を除いて消滅しました。

田園都市線は地下区間なので、駅も小さな出入り口の階段があれはよいので、「駒沢大学駅前」といっても、駅前・・・という感じはまったくありません。ただし、電車の駅は公共性の高い施設なので、駅への案内表示は積極的に切り替えている様子です。特に地下駅はどこに駅があるのかわかりにくいので、「~駅前」という交差点があればわかりやすいのです。

しかし、そうやって古い地名はどんどん消滅していくのですね。ちなみに、駒沢大学駅のそばにある三菱東京UFJ銀行の支店は「駒沢大学駅前支店」です。駒沢交差点付近にあるみずほ銀行は「駒沢支店」。

東急バスの「駒沢大学駅前」停留所の手前でのアナウンスは、「駒沢大学へは、次の駒沢でお降りください」となっています。駒沢大学駅から駒澤大学へはこちらも徒歩10分なのです。

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2006年11月27日 (月)

三沢市にて

私の仕事の担当エリアは、青森県三沢市が北限。ここは上北地方といわれる地域です。

三沢といえば、いろいろなものがありますが、何といっても在米軍基地のあるところです。正式には米軍と航空自衛隊の共同基地ということらしいのですが、基地の街としての独特の雰囲気があります。

基地の街、特に米軍基地のある街は、沖縄を除くと三沢・福生・相模原地区・横須賀・岩国・佐世保が有名です。その中で、三沢は一番小さな都市ではないでしょうか?そして一番のどかなところ。

そんなわけで、三沢は少し変わった雰囲気の街です。まず、市内の看板にローマ字が多いことです。これも改めてみるとおもしろいです。近代的な建物に書いてあるのなら、垢抜けた感じですが、古い商店街にもローマ字併記です。

そして、道路が広く、市の中心部は瀟洒で都会的です。これは、人口4万人の三沢市の規模から想像できません。基地の交付金があるためでしょうか?

また一歩入ると、小さなスナック街。いわゆる「基地の街」特有のもの。そして、大通りにはこれまた、東京にあるようなオシャレなレストランなどもあって。ちょっと日本ではないみたいです。

当然のことながら、外人が多いのです。ちょっとしたファーストフードの店に、普通に外人がたくさん居ます。外人だけのグループもいれば日本人が混じっていたり。会話も英語だけだっり、日本語が混じったり。仙台でも東京でもこんなに頻繁に外人と出会うことはありません。

続きを読む "三沢市にて"

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2006年9月24日 (日)

国道246号線

先日、取り上げた大野雄二さんのアルバム「Yuji Ohno You&Explosion Band-Made In Y.O-」の中に、「ROUTE 246」という曲があります。これは、国道246号線をとりあげたもので、なかなかいい曲です。この曲は今回初めて聴いたのですが、私にとって国道246号線はとても思いで深いところです。首都圏に暮らすようになって、学生時代も社会人になってからも、国道246号のそばに住んでいました。

国道246号線は、東京都千代田区の三宅坂から静岡県沼津市までを結ぶものです。途中、渋谷までを「青山通り」。渋谷から東京都と川崎市の境までを「玉川通り」とよび、神奈川県に入ると、「大山街道」とか「厚木街道」と呼ばれます。

青山通りは、いわゆる「ファッショナブルタウン」です。東京の山手のおしゃれな感じのところを通り、ブテッィクや高級専門店が並んでいます。玉川通りに入ると、上に首都高速3号線が通っているため、昼間でも薄暗い感じもありますが、世田谷の高級住宅地への入口だったり、三軒茶屋のような庶民的な町並みもあったり。瀬田交差点で環八のくぐると、玉川高島屋方面への旧道と新二子橋方面の新道に別れ、川崎市へ。川崎市の溝口から梶が谷・鷺沼と東急田園都市線に沿って、新興住宅地を経て、横浜市へ。新石川交差点で、港北ニュータウンへの分岐点があり、市が尾の立体交差で東名横浜青葉インターに接続し、青葉台・長津田を過ぎ再び東京都町田市へ。つくし野を通り、東京工業大学すずかけ台キャンパス、東名横浜町田インター・国道16号線に接続し、再び横浜市へ。

今度は小田急線と併走し、厚木市に入り、秦野市山北町を経由して、JR御殿場線に添って、沼津市へのルートです。

私は、横浜町田インターあたりまでがテリトリーでしたので、このあたりは車でも徒歩でも国道246号は生活道路。田園都市線の駅から246のガードをくぐったところに家がありました。少し遠出をする時も区役所に行く時もすべて246を経由。車のメンテナンス工場が246沿線にありましたので、車を置いて246の歩道を歩いて帰ったり。たまプラーザや港北ニュータウン・南町田のショッピングセンターに行く時も246を利用。ガソリンを入れる時も、246沿いは安かったので、わさわざ上がっていたし。

国道1号線の迂回路となっている246。そして、東名の接続国道となっているため、交通量は激しいです。事故もよく起きていました。246自体を歩く人は少ないのですが、東急の駅から多摩田園都市が広がっているので、246を渡る人は多いですね。

バブルの時、千駄ヶ谷の会社から残業でタクシー帰宅が認められていた時も、東名に乗るか、246で行くか。時間帯によっては246の方が早い時も。

そういえば、車の免許をとってから、はじめて運転したのも246。恐かったですね。そして、大学4年の時、就職活動のため少し減量しようとして、家から深夜の246を走っていました(でも続かなかった・・・)。

今は、仙台に居て246とは縁遠くなりました。妻たちの住むところも246からはかなり外れています。大野雄二さんの、「ROUTE 246」を聴いて、ふと当たり前のように利用していた国道246号線を思い出した今日でした。

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2006年6月12日 (月)

チャグチャグ馬コ

私の故郷、岩手県盛岡市に国の「無形文化財」となっている「チャグチャグ馬コ」という祭りがある。馬の産地である岩手県で、年に一度馬の労をねぎらうということで、盛岡市郊外の滝沢村の蒼前神社から、盛岡市の盛岡八幡宮まで馬の行進をする。馬には、きれいな飾りつけがされ、その中の鈴の音が「チャグチャグ」となので、こういう名前になったという。小さな子どもが馬にのっての行進。以前は、6月15日と決まっていたが、観光客対策のため、6月の第二土曜日に変更された。

私は、この馬に乗ったことはないが、小学生の頃は毎年見に行っていた。というより見させられた。八幡宮まで行く途中に中津川という川があり、そこに着くのがだいたい昼過ぎ。私の小学校はこの川端だったため、土手に出ると、馬が水を飲むために休憩する姿をみることができる。そして、それを毎年絵に描かないといけなかった。私はとにかく絵が下手で、書くのもイヤだった。苦痛だった。6年生ぐらいになると、少し生意気になっているので、「馬の労をねぎらうなんて、あんな遠くから子どもを乗せて、歩かせて。馬の虐待行為だ」なんて、先生に喰ってかかったことも。

最近は、馬の飼育もへり、規模が小さくなっているが、この歳になると懐かしくなる。また見立てみたいと思うこともある。盛岡は、この祭りが過ぎると梅雨に季節となり、肌寒い日々が続くのである。

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2006年5月10日 (水)

修学旅行

最近、仙台の街に小学生や中学生の修学旅行生が見られます。各グループでの自由行動なのでしょうか、数名での行動。そんな季節なのでしょうね。

修学旅行にはいろいろな思い出もありますが、各地区によって訪問地も異なります。東京の方は、小学校では日光方面・中学で京都方面・高校で九州か北海道、または東北や中国地方なのでしょうか?私立の高校では研修旅行と称して韓国やグァムにいく学校もあるようです。実際、国内よりも安かったりもしますから。

私は高校まで岩手県の盛岡市の学校に行っていました。そのため、小学生の時は1泊で仙台・松島でした。仙台市郊外の秋保温泉に宿泊して、最後は仙台駅前のデパートで買い物をして帰りました。当時は新幹線もなかったので、仙台~盛岡は2時間。当時の盛岡は田舎町でした(今も)ので、仙台駅前の大きな通りやデパートの大きさに驚きました。

中学では、盛岡市周辺の学校はほとんど東京ですが、盛岡市内の学校は東京と北海道に分かれました。東京は親戚がいる家庭も多く、いずれ行く機会もあるだろうとのことで、私の中学は北海道でした。青函トンネルもなかったので、盛岡駅から青森まで電車で行き、後は青函連絡船です。私の学年は400名もいたので、団体貸切列車。私の前のクラスまでは連絡船では座席に座れましたが、私のクラスからは船底のオープンスペース。地べたに座り、結構揺れて。それでも楽しい旅でした。函館から洞爺湖・札幌方面の道南コース。北海道へ行く機会もなかったので、いい経験でした。

高校は、通常は京都方面なのですが、うちの高校はちょうど進学向上に力をいれた時期で、「修学旅行なんて行ってる暇はない」ということで、1泊で会津若松へ。他の高校がみんなで京都へ行っているのに・・・と思っていましたが、私は高校が嫌いでしたので、それでも不満はありませんでした。

今は、私の高校でも修学旅行が復活して京都・広島方面へ行くようです。日本の伝統文化を知ることと戦争の被害を知るという平和教育の実践ですね。

中学では、東北地区全体としてほぼ東京方面になっているようです。何といってもディズニーランドは必須みたいで、あとは鎌倉・箱根方面まで足を伸ばすことも。また、宿泊もヒルトンホテルなどの一流ホテルに宿泊。うらやましいですね。何といっても新幹線があるので時間的には余裕があるようです。

高校では、学校によっては京都にプラスして長崎。または京都へは行かずに沖縄へ行く公立高校も。長崎は、文化的にも平和教育にもいい場所。沖縄も。いろいろと様変わりをしています。

小学校では、近県の観光地がメイン。うちの娘は来月日光に日帰りの遠足。6年生になると京都だそうです。ちなみに中学では東北らしいのですが。修学旅行の積み立て金も結構高くで親としては大変。

みなさんのどんな修学旅行を過ごされたのでょうか?

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2006年1月31日 (火)

セントレア

先日本社への出張で名古屋へ。東京勤務の時は、自宅から近い新横浜から新幹線でしたが、仙台からでは飛行機です。飛行機に乗るのも久々でしたが、時間がよくありません。空港で少し待ち時間があります。

まず仙台空港。以前仙台に勤務していた時は、きたないローカル空港でしたが、12年ぶりに訪れると、なかなかオシャレで綺麗な建物になっていました。でもやはりローカル空港です。そして、名古屋のセントレア。愛地球博にあわせて開港したもので、こちらも綺麗な建物。以前の小牧空港に比べたら、見違えるようです。開港の時かなり話題になり、温泉があるとかテレビでいろいろと紹介されました。名古屋から来ている同僚が、いろいろと案内してみどころを説明してくれますが、私は「ふ~ん・・・」といった感じ。仙台採用の同僚は「仙台空港より大きい」と感激していましたが。

私は羽田空港を見ているので、いくらセントレアが新しく綺麗といっても羽田に比べるとたいしたことはありません。売店もレストランもそれほどなく、新幹線の駅ビルと店の感じは変わりません。やはり、東京にはかないませんよ。

名古屋の方には悪いのですが、名古屋の人は少し世間知らずのところがあります。というのは、名古屋はそれなりの町なので、名古屋だけで用が足ります。まず普通の生活をする上では不便はありません。都市機能も発達しているので、あまり他の町と比較はしません。名古屋にいろいろなビルが出来ても、名所ができても、オシャレなスポットができても、それと同じがそれ以上のものは東京にも大阪にもあります。それにあまり気が付かないのが名古屋の人に多いです。何でも東京中心というのがいいとは思いませんが、名古屋の人は名古屋が地方都市だとは意識していません。

東北の人は、仙台が都会といっても東京依存型です。すべてが東京の管轄です。東京の文化と地元の文化の違いははっきりと意識して、使い分けています。ずっと東京依存で過ごしてきた東北。特に仙台は商業でも大きな市場のある「穴場」とされています。楽天の進出とともに、様々な東京資本の進出が計画されています。仙台も少し変わるのでしょうか?

セントレアに行ってそんなことを考えてしまいました。

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2005年12月 6日 (火)

八戸市と八戸駅

先日、出張で青森県八戸市に出かけました。八戸市は人口25万人の港町。青森県では県庁所在地の青森市に次ぐ第二の都市。青森県は面白いところで、明治時代に、最初の市制施行がされたのは弘前市のみです。弘前市は津軽藩の城下町で古くから栄えてきた街。しかし、戊辰戦争のためか県庁所在地にはならず、当時の寒村だった青森市に県庁が置かれて。弘前市は学都としても栄え、国立の弘前大学がここにあります。青森市は、北海道との連絡港として栄え、県庁や官庁の街として発展。

一方八戸市は、古くから港町として発展し、三陸地方では最大の街。漁港も大きく、工業都市として開け、独自に栄えてきました。青森・弘前は旧津軽藩であるのに対して、八戸は岩手県の盛岡市と同様に旧南部藩。言葉も習慣も青森・弘前とは違い、盛岡とも少し違った文化を持った街です。

県庁もなく、港町としてだけ栄えた街で人口も多く、これだけの規模の街は全国でも珍しいところです。八戸市には、八戸地方の新聞社「デイリー東北新聞社」があり、車のナンバーも「八戸」ナンバー。私立の4年制大学も2つあります。これは、青森・弘前・盛岡に引けを取らない街を作ろうとする地元の人々の強い意志を感じます。

東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸し、今は八戸駅が終点です。ところが、八戸駅を降りて、街を見ると、はじめての人はきっと驚くことと思います。駅前が閑散として、とても人口25万人の町の駅とは思えません。新幹線開通に合わせて改築された駅舎のみが大きくそびえ建ち、駅前商店街もほとんどありません。この八戸駅はもともと「尻内」駅といって、八戸市の中心からは4キロぐらい離れています。東北本線が開通した時に、港町として栄えていた八戸は、鉄道が来ることを嫌ったのと、街を通ると大きく迂回しないといけないこともあり、街の中心から離れたこの尻内に駅が作られました。東北地方では多かれ少なかれ、こういう現象は起きています。鉄道は、疫病を運んでくるとか、街が分断されるとかいう反対運動で、中心部から少し離れたところにできています。そして、そこと中心部が結ばれ次第に街が大きくなっていくのですが、八戸は離れすぎ。岩手県久慈市までの八戸線が開通し、市の中心部に、八戸駅が作られました。その後尻内駅は八戸駅となり、今までの八戸駅は「本八戸駅」になりました。

この「本」というのは変な名前ですね。八戸のほかにも、「本厚木」「本塩釜」なんていう駅もあります。本は「本当の」という意味なのかなと思い、本がつかないものは「うその」ものみたいと思っていましたが「本」という意味に「中心の」というものもあるようです。

地元に方に聞いたところ、転勤で八戸に来た人が、この尻内にある八戸駅に降り立ち、何もない駅なので、「ああ、自分もついに左遷された」と嘆くのだそうです。しかし、街に向かっていくと、立派な街があり、安心するというものです。

八戸市は、漁業や工業生産の不況で、以前のような活気はなくなったといいますが、まだまだ大きな街で港町独特の活気があります。また、歴史の古い街でもあるため、数々の名所旧跡もあり、楽しい街です。厳しい自然のため、今は散策には少しつらいところもありますが、街を歩いて退屈はしません。また、イカの街としても有名。様々なイカ料理は逸品です。

八戸駅から、八戸線に乗ってのんびり海岸を旅すると、素晴らしい海岸の自然と躍動的な港の風景が印象的です。私もとても好きなところです。皆様もぜひ八戸市を訪れてみてください。

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2005年11月 1日 (火)

温泉禁忌症

私は、アトピー持ちなので、皮膚が敏感です。プールのように塩素濃度が高いところにいると、塩素による皮膚の乾燥で、皮膚の発作(痒み)がでてきます。

それと同様に、温泉もダメなんです。日本は温泉の宝庫。特に東北地方はいいところがたくさんあります。ゆっくりと温泉独特の匂いにつつまれて、温泉の効能も堪能して・・・なんていうのが、一般的に楽しみなのですが、私は、この温泉の水質で発作が出てきます。

天然温泉に行くと、必ず水質分析がされていて、効能と禁忌症かげあります。禁忌症には「慢性皮膚炎」とあります。ただし、効能にも「皮膚炎」とあります。これは両刃の剣のようなもので、皮膚炎の治療には、温泉が利用され、最初はひどく炎症を起こしても継続して入浴するうちに完治していくというものです。

私のように治療目的ではなく、レジャーで利用する場合には禁忌症の方が強くなります。あの腐卵臭のする硫黄の温泉。これこそ温泉の代名詞のようなものですが、私はこれもダメです。入浴後はヒリヒリします。特に高濃度・高温の硫黄泉は、肌のいいといわれていますが、私は過敏反応です。なので、長時間の入浴はせず、すぐにシャワーで洗い流します。だから本当につまらないのです。

先日、秋田市で泊まったホテルは、天然温泉の大浴場が併設されています。私も久々の温泉だったのと、宿泊者は入湯税150円で何度も利用できるので、長時間利用していました。今日になって、身体のところどころに発疹ができてきました。ここの温泉は、硫黄温泉ではありません。秋田市内や秋田・山形両県り日本海沿岸では、塩分を含んだ、温泉が出ます。宿泊したホテルは、市の中心部なので、源泉の温度は低めでしたが、強度塩成分とのことです。すごく塩辛かったです。これにやられてしまいました。

温泉に入るのも楽しみなんですが、これがあるからなかなか行けないのです。残念。

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2005年10月21日 (金)

平泉

前日の講演の失敗が、尾を引き、なんとなくやる気が出ず、仕事をサボって仙台へ帰る途中に、平泉へ寄りました。中尊寺や毛越寺を見たいと思っていたのですが、いつも素通りでしたので、今回は思い切って。

私も岩手県人なので、子供の頃に、中尊寺にはいったことはあります。国宝の金色堂も。そういえば、国道から中尊寺まで相当きつい坂があったなと思い、再び訪れます。今年のNHKの大河ドラマが「義経」のためか、平泉は今観光ブームです。毎年春と秋に行われる「藤原まつり」の義経東下り行列。今回の春は、大河ドラマの主演の滝沢秀明さんが義経に扮し、東下り行列が行われたので、かつてない人出だったようです。

私が中尊寺を訪れたのは、平日でしたが、たくさんの観光バス。今が秋の観光シーズンなんですね。もう少し遅い時期なら、紅葉もきれいなのですが、逆の寒くなります。なので、今が一番いい季節。少し肌寒かったのですが、晴天で、中尊寺の参道(月見坂)は、かなりの人でした。

子供の頃見た中尊寺とあまり印象は変わっていなかったです。古びた寺や建物が点在しています。ただ、参道の中腹からみえる風景は、バイパスの工事や大きな建物が建ち、変わっています。そして、お目当ての「金色堂」。これは国宝です。建物全体が金箔で覆われている荘厳なものなのですが、実際にみると、小さくたいしたことはありません。金箔のお堂を覆う、「覆堂」に囲われていて、室内ならライトが照らされていて、そのため金色が引き立ちますが。ただ、こういうものが当時建てられていたことが凄いのでしょうね。マルコポーロの「東方見聞録」にある「黄金の国、ジパング」はここのこと・・・という説もあります。

平泉は、義経が自害し、藤原氏も4代基衡が死んだ後は、衰退しました。しかし、当時の人口は30万以上だったといいます。盛岡市の今の人口は28万です。それよりも多い。それに、盛岡という地名よりも平泉という地名の方が古い。それを思うとここす、当時は凄いところだったのだと感慨。

平泉は平成20年に世界遺産に登録を目指しています。京都や奈良の比べ、寺社が少ないので、どうでしょうか?歴史的に遺産として残っているのは、中尊寺一帯と毛越寺の庭園などごくわずかです。これを思うと難しいかな?と思います。

平泉を含む、岩手県の西磐井・東磐井地区のほとんどが先日、「一関市」に合併しました。今一関市は人口が12万で、県内で一番面積の広い自治体となりました。この合併の際、平泉町は、世界遺産を目指していることと、歴史的に地名から「平泉市」として一関を含めた新市の名称を提案しました。しかし、一関や他の市町村から受け入れられず、平泉町は合併を断念。今もなお、「岩手県西磐井郡平泉町」です。

JR東北本線の平泉駅から、中尊寺・毛越寺・義経堂など、それほど広くない範囲に点在しています。半日あれば全部回れます。皆様一度お越しになってください。

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2005年10月17日 (月)

方言その3

方言シリーズの3回目です(このブログ、方言シリーズにしてもいいかも)。

今日は、訛りや独特の言い回しではなく、その地域で使われる標準語的な表現の話です。

「ゴミを投げる」・・・・。これは、盛岡地方というよりは東北地方から北の地域でよく使われる表現のようです。また、これはどこから来たのか不明ですが、「ジャージ」のことを仙台では「ジャス」といいます。学校などで、大掃除のためにジャージに着替える・・・・ということを「ジャスに着替える」というそうです。ジャス・・・日本エアシステム(JAS)・・これももうないですね。

方言とは言い難いのですが、その地方独特の表現で面白いものがあります。私の会社は本社が名古屋市です。私が研修や出張で名古屋へ行った時も転勤で名古屋から来た方にも、名古屋出身の方に共通して感じることです。

それは・・・・「○○さんみえる・・・・」という表現です。○○さんが視界に入っているかではなく、○○さんがいるか?ということです。少し丁寧な言い方では「部長、みえる?」といいます。「○○さんが、おみえになりました」「○○さん、おみえになりますか?」「○○さん、みえられますか?」これらすべては、丁寧な表現ですが、正しくは「○○さんが、いらっしゃいました(お越しになりました)」「○○さん、いらっしゃいますか?」となるものです。

また、これも不思議ですが、資料や本についている「ページ」。英語では「Page」と書きますが、名古屋の人は「ペーシ」といって「シ」が濁りません。「1ペーシ、2ペーシ」といいます。何となく耳障りに私は感じます。

最後に、これは大笑い。以前の上司に仕事で叱られた時(それほど怒ってはいなかったのですが)、「この、たわけ!!」と言われたことです。さすが、織田信長や豊臣秀吉の出身地名古屋。戦国時代のドラマでよく使われていのは知っていたけど、まだ使ってるの?思わず噴出してしまいました。この上司とは以前よく飲みに行くと「たわけ」とか「たわけもん」とかよく言われました。

番外編として、名古屋の人は「~だがや(丁寧な名古屋弁は「だかね」だそうですが)」といいます。昔、この上司に「課長、10×100はいくつですか?」と聞きました。課長は「せん(千)だがや」。「それでは課長、うちの東京の本部はどこですか?と聞くと、「せんだがや(千駄ヶ谷)だがや」と答え、仲間は大爆笑。でも課長は何でみんなが笑ったのかわからなかったようです。この課長、もうすでに退職されています。以前、仙台に赴任した時に大変お世話になった方です。お詫び、お礼を込めて。

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方言その2

方言について、また思うことです。

テレビドラマで、方言が使用される時に、「方言指導」という人がいます。ただ、これも東北地方の方言などは、そのまま使うと意味不明になるので、それなりにアレンジした方言になっています。もともと俳優さんもネイティブではないし、ましてや字幕も出ません。ただ、東北弁は、独特のイントネーションがあるので、東北出身の俳優さんだとそれがうまく生かされています。たとえば、長岡輝子さん(岩手県出身)・浅利香津代さん(秋田県出身)・渡辺えり子さん(山形県出身)などは、ピカ一。

関西弁は、もう一般的になっているので、私達にもわかりますが、これも実際に関西に行ってみると少しニュアンスが違います。テンポが速いです。だからよく聞き取れないこともあります。

さて、ここで問題なのは時代劇。時代劇には方言はないのでしょうか?大阪の庶民生活を描いたものには、少し関西弁が出てきます。京都の宮中の言葉もありますが、その他はあまり聞きません。「水戸黄門」も全国行脚しているのに、方言が出てくるシーンは少ないですね。

豊臣秀吉の正室北政所ねねは、もの凄い名古屋弁だったと言い伝えられています。ただ、この戦国時代のドラマで、ねねが名古屋弁で話しているところを聞いたのはわずかです。NHKの「おんな太閤記」のねね役の佐久間良子なんて、とてもきれいな言葉だったし。その前の「黄金の日々」ではねね役は十朱幸代で、これは名古屋弁でした。「おみゃーさん・・・」とか使っていたし。

今放送している「義経」。平泉の藤原氏が出てきますが、これも標準語。ただ、過去の時代に、方言が使われていのかどうか不明ということもあるのでしょうね。文書は残っていても、録音装置はなかったのですから。

そういえば、TBSの「渡る世間は鬼ばかり」で、岡倉家の五女長子の夫の英作さん。これも変ですね。出身は大阪のはずです。岡倉家で同居している時は標準語でもいいのですが、大阪の実家のシーン。あそこでも標準語。母親役の京唄子が、こてこての大阪弁。そんな母親に育った英作が、母親との会話のシーンで標準語はおかしいよ。「おかあちゃん~」ぐらいでごまかしているけどね。

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2005年10月13日 (木)

方言

地方出身者にとって、方言は懐かしくもあり少し恥ずかしいものである。また、その人の出身がわかる証拠でもある。

これだけテレビやインターネットなどが普及しても方言は残っている。年配の人だけでなく、若い人も使うのだから不思議だ。

特に、東北地方の方言は「田舎者」の代名詞のようで、都会の人からみると異様な感じなのだろう。東北地方の方言の特徴はいわゆる「ズーズー弁」。訛っているのである。発音がはっきりとないものや、聞いていてきたない言葉に聞こえるようだ。東北地方以外から転勤などで来た方は、まずこの方言に悩まされる。取引先との交渉、学校の交友関係など、いろいろとトラブルもある。

私は、岩手県盛岡市の出身だが、やはり言葉に訛りが出る。やはりここで育ったせいなのであろうか。父は東京で母は岩手の人間。母はいわゆるネイティブスピーカー。父も疎開で東北に来て、そのまま岩手県で就職したので、こちらの言葉になれてしまったらしい。私の家は、父の実家が東京都町田市なので、帰省は東京へ。母はこのときは「よそゆき」の言葉だったようだが、伯母二人は、ともに青森・秋田の出身だったので、嫁3人の時は東北弁なのかと思ったのだが、伯母達は東京に住んでいたので、そういうこともなかった。

私は、浪人時代と大学時代は東京で過ごした。就職活動も普通にしたので、大学4年生の頃には、すっかり標準語になっていた。採用面接で「君の言葉は変」といわれたことはあまりなかった。就職して最初の赴任地が仙台。担当地区が山形県。そして5年間。その後東京に転勤した時、東京の同僚から「AAさん、言葉が変」といわれた。内心「ショック」だった。

12年間東京に勤務して、私の中からは方言は消えてしまったが、年をとるたびに帰省するとやはり方言が出てきた。不思議。今度は、また仙台に転勤し、担当が岩手県。最近すっかりこちらの言葉に慣れ、川崎に帰省すると「言葉が変」といわれるようになった。

今の仙台の職場に名古屋から転勤してきた同僚がいる。その人は青森県の担当なので、言葉がわからないといって困っていた。そこから始まって、風土・気質も不明で少し疲れ気味。私は、もともと東北の人間なので、今更困ることはないのが幸い。

東北地方は広いが、言葉は少し似ている。地区によって多少異なるが、だいたいはわかる。ただ、東北以外の人には意味不明だと思う。ニュースで東北地方の人がインタビューに答えるシーンがあると必ず字幕が出るし。

ただ、こういっては失礼だが、青森県の津軽地方だけは、他の東北地方とは少し言葉が違う。たとえば、「~してはダメ」ということを「まいね」という。これは私でもわからない。それ以外の地域では「わがねぇ」という。これも、都会の人から見ると、「わからない・・・」といっているように聞こえるらしい。仙台地方ではこれに、「~ちゃ」がつき「わがねぇっちゃ」となる。山形県の庄内地方(酒田・鶴岡地方)では、「なんね」という。こちらは、昔の海運の関係で、関西風の言葉が訛ったようだ。

また、訛らなくても、地方独特の表現がある。岩手県盛岡地方では、ゴミなどを捨てることを「投げる」という。たとえば「金曜日は、ゴミ投げの日」みたいに普通に使う。盛岡の人は、ビッチング練習のように、ゴミをポールのように投げているわけではない。ゴミ収集場に捨てに行くものである。どうしてこういうかは不明だが、私もたまにゴミを捨てに行く時、「ゴミ投げてくるから」ということがある。別に方言だとは思っていなかったが、考えてみるとおかしい表現。

改めて思うと、私も東北弁のネイティブスピーカーなのだ。

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2005年10月11日 (火)

最終電車接続

首都圏の電車では、それぞれの最終電車にうまく接続できるダイヤで運行されているが、仙台のような地方都市ではどうなのか・・・と思っていたら、なかなか上手くできている。

休日に帰省することが多い、私は仙台に戻る時はだいたい東京駅を21時32分に発車するやまびこ167号を利用する。そうすると仙台には23時47分に到着する。さて、ここから自宅までどうやって帰るかということになる。タクシーを利用してもいいが、3,000円くらいかかるので、かなりの出費。しかし、なんと仙台市営地下鉄の最終が仙台駅を23時59分発で接続している。23時59分というのが何ともいえない時刻だか、北行きも南行きも同時刻の発車。新幹線のホームから地下鉄の駅までは相当かかるが、ゆっくり行っても十分間に合う。利用したことはないが、金曜日は新幹線が1本遅いのがある。東京駅を22時16分発で途中駅は上野・大宮のみの停車のため、仙台には23時56分到着。これでは地下鉄の最終は間に合わないが、地下鉄も金曜日は仙台発北行きが24時9分・南行きが24時11分と1本増えて、きちんと接続している。

地下鉄ばかりではなく、JRの在来線も、東北線は白石行きと松島行き・仙山線も愛子まで、仙石線も東塩釜まで、金曜日の増発便も含めて、すべて新幹線の最終と接続している。

仙台のような地方都市でも、接続ダイヤが上手に組まれているのは、驚き。鉄道沿線から離れている地区の人はタクシーを利用するしかないが、上手く鉄道を利用すれば、タクシーを利用することもなく最終電車で帰宅できる。仙台駅のタクシー乗り場もそれほど行列にならないのもそのせいかな。

私の住む、地下鉄泉中央駅では、最終の地下鉄に接続して、深夜バスが運行され、泉地区の北部まで帰宅の足が確保されている。景気のいい時代は、タクシーの利用が多かったが、最近は最終電車接続がうまくいっているので、便利になったと思う。

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